残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

雑記

まだ他称「フェミ」のオタクのおばさんは怒っています。
山本一郎氏がカワンゴさんの言うようにお気持ちワードと煽りに煽って放置するのも2chの煽ってナンボを内面化しすぎたせいだし。
増田にあとからおしよせた勘違い若い連中がイキって長文正義とばかりに「フェミ」魔女狩りをしだしたのもあまりに世間というものをわかってなさすぎてイライラする。フェミは増田にはいません。千の風か。
しかも増田は匿名ときた。たぶんやってるの特定のやつらなんでほんと折を見て通報するくらいしかないですよね。
おまえらその長文をおまえのかあちゃんに面と向かっていってみろってんだ。かあちゃん泣くぞ。マジで。情けなくて。
あとそういうことに情熱燃やしても何の得にもならないですからね。日本は男女平等度114位です。

最近ネットで目につくフェミニストを攻撃している自称オタクについて書きます。
 
とりあえず定義から。
自分もオタ系コンテンツの消費者という意味では立派なオタクなので、自称オタクであるという意味ではフェミにつっかかる男性たちと同じ立場のはずなのですが、フェミにつっかかっていく人にはコンテンツ愛護者の意味を含むオタクとは自称してほしくないのが本当のところです。
また、「またフェミか」と叩かれている対象の女性たちの多くは別に社会学者でもなくおかしいとおもったことをシンプルに表出している一般女性です。仮想敵として「フェミ」と命名されているだけの今を生きるふつうの女性です。
フェミに戦いを挑む男は、たとえば渋谷ハロウィン勢のなかで騒動を起こした人が単に仮装を楽しみたかった人と区別されるべきであるのと同じ意味で、オタクとは区別されるべき存在です。まあいきつく定義は「軽犯罪者」なんですけど、最初から煽っていっても読みにくくてしょうがないのでここでは「フェミ叩き勢」とでも呼びます。またそこで指摘される女性のことをここではフェミと(個人的にはあまり呼びたくないですけど)呼ぶことにします。
 
フェミ叩き勢の主張はたいがい雑で、帰着するところは「オタクコンテンツがどうあれ架空だからいいだろう」なのですが(そして本当に架空のものとしてすみわけていればたしかに問題にはなりえないですが)、フェミ側の指摘の多くは「おまえらの大好きなものであっても架空を現実に持ち込むな」です。そこには一理あります。住み分けられてないからおかしいよというわけです。
なのに答えは「架空だからいいだろう」「指摘して表に出したお前が悪い」でぐるぐる回っています。フェミと呼ばれる女性は税関のような役割を勝手に持たされ、的にされ、審査基準もなく、勘とか手探りで現実に架空をこっそり持ち込みたい密輸勢をみつけてはナニコレといって指摘してエロテロとかでやりかえされるわけです。混戦内乱状態。
で、女性でありオタコンテンツ愛護者である自分は「おいやめろ」しか言いようがないわけです。オタコンテンツは秘密の趣味(マネーフォワードの家計簿にこういう科目がありますw)としてこの先もずっとお付き合いさせていただきたいわけですし、ここで内乱されては日本国内にもネットにも居所がないですよマジで。
 
naporin.hateblo.jp
naporin.hateblo.jp
naporin.hateblo.jp
この一番下のなんかひどくて、BLはエロくない(若年層によくある思い込み)といった人にフェミ叩き勢が成人向けBLの表紙を撮影して投げつけたという、無知なだけかもしれない女性へのセクハラと著作権侵害を兼ねそなえた立派な犯罪行為をやらかしてるわけです。たぶん捨て垢だからスクショなんでしょうけど。

 
無知な女性もいるし無知な男性もいる、それで無知なままそれぞれの特殊コンテンツを愛護していきたいきもちもある。それは世間一般の真実です。でも、棲み分けをしてください。一応勉強してください。

ASは世間を茶番と読む

AS(発達障害自閉症スペクトラム)の話をします。
一応いっておくとわたしも素人で、市販本を8冊くらい読んだだけのおおざっぱな話なので、勉強済みの人や医療関係者はあまり期待しないで読んでください。
 
現在の発達障害とは、いろんな能力(4~5つくらいは診断のために測定しているようです)が、全てちょうど100%前後ではなく、標準的な人とくらべて凸凹が大きい人のことを指します。
たとえば言語能力IQや数学能力IQなど測定するとすべて130くらいある(学校でもテストは優秀)のに、スケジュールを守る能力だけが人並みの100であれば、発達障害のうたがいとなります。
併発することが多いのが感覚過敏、感覚鈍麻で、たとえばある人は市販ボトルウォーターでも味が苦いといって飲めないものがある(味覚過敏)、掃除機の音が大嫌い(聴覚過敏)のに、冬もTシャツですごそうとするほど温度に鈍感(温度感覚の鈍麻)などのアンバランスが同一人物のなかに同居したりします。
 
この診断名ができるようになった歴史的経緯をおおざっぱにいうと、
昔はなにか人と違う言動があればまとめて精神病とされていました。
次にある心的能力が生まれつき0に近い人で、他の精神病とちがうものを自閉症という精神障害と診断していました。
その中でも他の能力が人並みかそれ以上であれば高機能自閉症とも呼ぶようになりました。
また他のところで能力があるのに対人コミュニケーション能力が低く、人の気持ちだけが読めないのがアスペルガー症候群と名付けられました。
じっとしていられず忘れっぽいのがADHDと名付けられました。
そして最終的に能力ごとに凸凹がある状態を多種まとめて発達障害とよび、その中に自閉症アスペルガーADHDが全て含まれることになりました。
能力に凹凸があれば発達障害なのでその程度も大から小までさまざま、色のグラデーションのように途切れなく存在するので、これを自閉症スペクトラム(広がりのある自閉症群という意味。)と呼ぶようになりました。
そして、成人し、子育てを終えたり長年の勤めを終えて定年した人や、とっくの昔に死んで歴史上の人物になっている人にも伝記やその人の書いたものなどをつうじて、こういう発達障害の傾向(大なり小なり)が発見されるようになりました。(最初に書いた能力偏り例なんかは、しょっちゅう締め切り破りをした過去の小説家さんっぽい能力の偏りですよね)
 
他の精神病や精神障害と同様に、今は発達障害にも、本人や周りの「困った状態」を放置することなくできるだけ社会的にケアをしていこうという機運があります。
たとえばADHDと診断された人には薬が提案されています。その薬も個人の体質や状況によって合う合わないがありますが、体質や状況に合った薬を飲むことで本人が症状が軽く、生活しやすく感じる場合が発見されているので、そういう利用しやすいケースには薬を飲み続けてもらおう、など。
また自閉症にも専門の医師や療育方法、ケア施設でノウハウが蓄積されています。
 
ただ、軽度の発達障害でハイティーンや成人で能力の偏りが発見された人では、「だれでも凹凸はあるから、苦手なことがあっても努力でカバーしろ」と育てられ、いわれたとおり自主努力でなんとか社会人になれたため、自分の来歴にプライドを持っていて、ケアそのもの(ケアしようという機運の生まれた世の中)を受け付けない場合があります。
 
努力をして手に入れた「ふつう」は誰にとっても宝物なのですが、それを今からでもケアしようという機運に「過剰さ」「見下し」を読み取ってしまうわけです。
 
でもケアする側のやろうとすることは見下していることだ、という理由で嫌っていることを表明すると、当然ながらケア順番が最後にまわされたり、ケアが受けられなくなります。その人にとってはケアが過剰だから見下していると思ったんだろういう理屈です。
ふつうの人は「ケアが必要そうな人にケアを申し出ること」を見下しているとは受け取らないです。 
ケアをする側が立場が上だという誤解がひろまっているからこうなっているのかもしれません。
 
このような発達障害の「困り」は、ある本では「茶番に見える」という言葉で表現されていました。

 p146 今すぐ「茶番センサー」を止めろ より引用
「本当に茶番だと思います。特に「雑談」とか「挨拶」とか「面子」には拒否感が強かったのではないでしょうか」 

自分が共感能力が少ない状態があたりまえであるために、他人からの共感は嘘か見下しに見えてしまう。他人同士が共感のやりとりをしていると茶番劇に見えてしまう。そういう人が発達障害の人には多いようです。
だからといってやめろとはいえません。「茶番センサー」もスイッチがないのでいますぐ止めろといわれても無理ですよね。
でもブログのようなところで「私には見下しであり、つまりケア過剰である」とケア(のとっかかりとしての雑談)を拒む姿勢を永久表明することは、時期尚早かもしれません。少なくともケアを差し出す側にとっての活動の障害や混乱のもとになるので、敢えて公表することはやめたほうがいいのではないかとおもいます。
 
これはうつ病でも似たような困りの発生があって、つまりは、共感的コミュニケーションをすぐに「立場の強弱」に変換してしまうことで、強いストレスができて困りごとができるんですよね。
日本社会が「お客様は神様」などという立場の強弱でものごとを言っていいとか悪いとかする機運を常識にしてしまったのがよくないし、さらにツイッターやブログでの晒しや炎上という弱者いじめ、私刑になりがちな手法でないと個人がそれを正せないという状況に進化してしまった。立場が人をつくるという前提でしゃべるのではなく「人間の心に訴えるコミュニケーション」が「ダサい、邪魔」という理由で絶滅しかけている。(ラノベでもてっとり速い転生能力系がおおいのはそういうことだと思います)
 
先生の板書の誤字に生徒が堂々と指摘し、仕事中の警官にもタックスペイヤーだぞと文句をいう、マイクロで立場や評価にかかわりないコミュニケーションがどっかいっちゃったからでしょう。
そして消え去りガチなマイクロなコミュニケーションを求めて、うっかりブログという広域コミュニケーション手段を使ってしまうと炎上してしまう(主語がでかい)、逆転の結果をもたらす例もたくさんあるので、気をつけてねといいたいわけです。

iPhoneアプリのはてなブログから人力検索が、呼びだせない

iPhone用のはてなブログアプリは、はてな全体の通知もこみになっているので、人力検索の通知も届く。そこで通知のリンクを押しても全然読み込めない。
人力検索ページをシェア共有し、共有先を方位磁針マークのサファリにすると、読み込みは遅いものの、進捗バーが表示される。そこで半分くらい進んだところで左上リンクからブログアプリに戻ると、パッと表示がでることもある。

FGOハロウィン2018ONILANDボスレイドバトル鬼王朱裸攻略

クロエとアビゲイルアンデルセンにドスケベ礼装付けてオトモダチ強化140%だと4ターンで鬼令嬢級回れたので最速はそれかも。アビゲイルは宝具は赤いが、カードは3枚が青いので通常攻撃が強くなるほうが宝具も何度も打てて有利。

青いカードと宝具をポチポチする簡単なお仕事。ちょっと周回したらお友だち強化が180%まで上がったので鬼公主級行ったけどやはり10ターンかからず。アーツパ強すぎ。

これで調子乗って鬼救阿級にもいったけど、ドロップにこだわりはじめると途端にめんどくさいことになることがわかった。
うっかりフレンド欄更新を怠り、フレアビゲイルにドロ礼装のついてるをえらんでいったら敵の体力が240万とダントツ。その中の232万までを削ったとこで全滅しあえなく令呪。全滅パの残りはエウリュアレ、マーリン、未育成の術酒呑。舐めプで令呪失うアホマスターでごめん。
それにしても自カルデアアビゲイル持ってる人が羨ましい。

ドロップは案の定、全種類の菓子とお友だちポイントです。敵が一体なのでドロップがばらまかれる様は壮観。
レイドバトルのカウンターは倒した個体数なので、途中で全滅してしまうとカウントされません。


追記 高難易度クエス
おともだち強化330%で令呪も3画に戻ったから行ってみました。

フレンドギルガメッシュ弓 赤礼装熊退治
スカサハスカディ術 青礼装ドスケベ
沖田総司剣 緑礼装スリーアングラー
クロエ弓 青礼装どスケベ
坂田金時騎 緑礼装スリーアングラー
アレキサンダー騎 礼装なし
魔術礼装は極地用カルデア

敵に3本ずつゲージがあり、1本が最大で80万もあるので、少なくとも6回の宝具が必要。のわりに、敵がブレイク時に、敵味方問わず全員クリティカルアップとかあってギャンブルめいた進行。
3ターンで宝具撃つアルターエゴの敵を先にターゲットし、弓、剣で減らします。ギルガメッシュは相変わらずの鯖特攻あり、全体宝具あり。スカディはスキルで沖田総司強化、宝具で回避と即死無効。クロエは必中宝具。金時は敵術に強い。
で、ゲージ3本くらい削れたとこで全員クリティカルが来て全滅、迷ったけど令呪。スカサハ回避宝具も惜しみなく使って相手の無敵だけはスカしながら丁寧に1ゲージずつ宝具を当てましたらいけましたー。宝具チェーンやりたいけどゲージが無駄になるし、通常攻撃の色を見ながら丁寧なターゲットでコツコツと当てるのが大事ですな。

たまには女児の側で考えろ(棲み分け問題)

1.フェミ叩きに思うこと

最近いろいろなところで萌え絵が炎上しており、結局、女性キャラの商品化が、くどい、あざといってとこに問題意識をおいて問題提起すると「フェミ」と呼ばれ、「表現規制派だ」と混同されて「おれたちの表現を奪うな」とわーっと誤読前提で揚げ足取りなどされ、切りがないのでブロックして終わりみたいな流れになってますね。
まあ今までは自分もオタクだし*1、気持ちはわからなくもないし*2忙しいし。で放置してたんですが、ちょっとヒマもできたので長文書きます。
 

2.表現規制(広い意味で)

女児も男児も、ものごころついたときからコンテンツを自分で選べます。字が読め絵本を手に取るころには絵柄のニュアンスはだいたい全部わかります。なぜなら描いてる人が子供にもわかるように丁寧に描くからね。なのでできれば本人に選ばせてください。
 
あっいいたかったことが全部おわった。いやおわってないわ。
本人の好みで選ばせるからと放任したほうが楽なのに、それでも親世代がコンテンツに気を使い、はてはコンテンツ側が住み分けろと無茶を命じる前提としては、今までの長い歴史で、不幸な出会い頭の事故で子供の健全な成長を阻害された実例があり、それによる「子供のため」という大義名分があります。
まず点滅でてんかんを起こすとか、大音量で鼓膜を破るようなコンテンツは子供には禁止にしないとクソですよね。ヘッドマウントディスプレイでのVRも子供に治らない視覚障害をあたえる可能性があります。これをもし周囲が子供に与えたら咎められて当然ですよね。
トラウマを与える、洗脳するようなものもダメですよね。洗脳って結構身近にありますよね。
幼児だと暴力(物理いじめ)、小学生以上はハラスメント(心理いじめ)。
高校以上18歳未満だと詐欺、強姦などの犯罪を(より巨悪を叩くためでもなく)むやみに称賛するようなコンテンツ、そして自殺の美化や、イデオロギーのための自己犠牲・戦死を美化するコンテンツも。もちろん巨悪の前の小悪という演出により回避もできますが、レーティングも回避もおこたって18歳未満にあたえるといくらかの割合で洗脳が発生します。(今も存在する少年兵は洗脳でつくりだされますので現実にありえない話ではないです。ナチズム賛美の規制も歴史的経緯からみて当然です)
 
もちろん「フィクションが洗脳回避したところでニュースでは現実の悲惨な事件が報道されてる」のも事実ですが、ニュースは事実報道に終始するのでストーリーや演出による美化はしません。逆に「フィクションにて美化されたもの」は憧れの対象になりますよね。「洗脳」はいつもどこかで起こり得る。だから表現規制はなされ、表現規制のなかで広告対象制限による棲み分け、売り場を分けるゾーニング、子供へ売らないレーティング、どうしても回避できないなら発禁・部分削除などの手段が併用されています。
 
そしてその「美化洗脳」の一種として「女性性の商品化」についてしょっちゅう衝突して炎上が起きてるわけです。
 

3.なぜさほどエロくもないお兄ちゃんむけコンテンツが親に憎まれるか

 
フェミ「プリキュア抱き枕が問題ないとする人はディズニーのキャラクターで抱き枕作っても問題ないのか!」 - Togetter

目線が「自分もプリキュアになりたい」子供のものでなく「プリキュアという少女がほしい」大人のものだからです。下から目線と上から目線でコンテンツの楽しみ方が根本から違う。言うまでもないことで、おそらく男性ファンもわかってて絡んでるんですけど。
 
子供はプリキュアを1個人としてみとめており、プリキュアには(未就学児には想像もつかない)学校生活などで忙しく、ただプリキュアの公務の一部としておもちゃ会社を通して子どもたちにメッセージをくれることがあると思っています。その上で自分も強いプリキュアになるため、しっかり修行しなきゃ、と生活のはげみにしています。
一方で、おにいちゃんたち向け商品のプリキュアは自分(成人男子)より若く小さく弱いのに頑張ってる。可憐。そんな上から目線のさらに無防備なパジャマ私服、それも肩脱げが見たいというわけです。それはヒーローにあるまじき弱々しきすがたです。子供にとってはきぐるみの中に人が入っていた級のショックになりかねません。そんな弱よわしいヒーローを窃視してよいのは、アニメ内で親が布団をかけ直す時だけです。(なおプリキュアは初代コンセプトからヒーローであり、個人的にヒロインとは呼びたくありません)戦う女のはずが、本筋に関係ない私服の脱げかけ状態にされ「意図せぬ誘惑」のように描写され高額商品にされてるのを見ただけでも女児の親としてはイラっとします。
もちろんお兄ちゃん向け商品は、公式が出さなければ同人で出るだけですけど、うっかり公式商品としてamazonに登録でもされたら親はエライ迷惑します。子供の中にはサイズ感もプライス感もなく、商品説明で塗りがきれいなら、なんでも見境なく欲しがる子もいる。そして成長した後で「そういう意味のある商品だったんだ。知らなかったから嫌がる親にねだってしまった。悲しい。公式に裏切られた」って傷つく女性もいるんです。
こういう欲望目線を大人にだけでも、わかるように固定することは公式は絶対にやってほしくないし、どうしてもやるのなら広告の段階から棲み分けしておき、万が一対象外の人に見つかったら「これはあなたたちには知らされないはずのものですからどうぞお引取りを」と棲み分けるべきだと思います。あと抱き枕はでかいですから保存も廃棄も家庭で女性がいる状況なら本当に考えてほしい。
余談ですがもし元ツイの女性がディズニーではこんなの許されないって主張してるのにひっかかっても対象年齢の違う商品を引っ張りだしてまで揚げ足取りばかりして叩かないでください。ほっときゃいいでしょ。
もうちょっと踏み込むと、万が一そのやりとりをエゴサーチで目にしちゃったディズニー側が昔のようにファンアート(公式アートも)に硬化したとしたらディズニーを内緒で楽しむ大人ファンが大迷惑だ。
だから表現規制緩和を口実にどこでもみさかいなく暴れたら、逆に首がしまることを知らないバカは嫌いだよ。
  

4.(蛇足)「女性らしい」女性キャラの表現についての違和感

「恥じらう」「自信なさげで」「かわいい」「幼くていとけない」女性の姿(ファンタジー)は一種の人気コンテンツですが、その理想に近い雰囲気を保つために、現実の中学生にも、女性キャラにもまともな性教育を与えないのはダメです。
いかなる小児でも性犯罪対象になることがわかってきたから、自己責任論の強い日本では、女性にこそ可能な限り早い年齢で性犯罪防止と正しい性知識を与えるべきなのに、男性主導の義務教育はその努力を本気でやらなかった。
 
そしてそのように保護して作り出した無垢で特殊で美しい「恥じらいや弱々しさ」をさっさと「情熱」で最後まで押し切るのは、強姦という犯罪です。より理想的に美しい恋愛の成就ストーリーほど強姦犯罪に近づくジレンマがあります。
他にも、「ダメ」を押し切ってハッピーエンドに至るに、毎回話し合いと準備という通常の手段をとるのはマンネリになりますので、いろんな手段が描かれていますが、それもほとんど、準強姦(睡眠姦など)、強要、脅迫、セクハラなどです。(がんばって、ラッキースケベ合法ロリや人外という現実でなさそうなストーリー展開を用意したところ、バリエーションなんでもありすぎて、逆に最近、実際の女子高生拉致監禁事件を環境設定丸パクリしつつ純粋恋愛として美化した漫画が描かれて、実在の拉致犯罪被害者へのセカンドレイプだと話題になりました。しかも書いてるのたぶん女性。男性のつくったまちがったロマンを内面化しすぎてて怖い。)
 
もしある作品がわいせつ、犯罪(強姦、強要、脅迫、詐欺)、セクハラのいずれにも該当しなくても、日常で乱発される恥じらいを売り物にする表現は「つごうのいい嘘=ファンタジー」がふくまれ、しっかり憶えておくべきリアルな女性像を覆い隠してしまっています。
 
一応公平のために書いておきますが、フィクション世界の外の現実でも女性は生まれつき脳梁が太く共感能力が高く、しかも体格に劣るため、男性の押しに弱いとされており、「イヤよイヤよも好きのうち」「ないてるのは喜んでる」「そういうプレイ」「本人も納得してる(後付)」「知らぬが仏(盗撮、リベンジポルノなど)」などという、性欲正当化圧力前提のきったねえ性交渉手段がひろまりすぎてます。
現実女性は本気でノーをいいつづけてますが、ある種のマッチョ思考な男性に届かず(その一部は子供の頃の洗脳がとけていないのかもしれません)、女性(現実女性、女性キャラ)の商品化(本人の意向にかかわらず盗撮などで勝手に性的商品として扱う)、コレクション対象化、トロフィー化、犯罪対象化がとまらない現実もあります。
「痴漢」「未成年買春」「出会い系」「恋愛工学」「青少年保護育成条例」といった言葉を調べると性犯罪者が毎年ひきもきらずでています。妄想力を作品に昇華させたはずの漫画家、無垢な生徒と触れ合える校長先生、NHK職員などなど、あらゆる職種の男性が性犯罪に手を染めて職を失っている現実があります。
犯罪報道ではかならず被害者側を責める日本。
毎度毎度の「被害者叩き」は日本の民度を反映してるよね - エストニア共和国より愛をこめて
日本でひろまっている都合のよいファンタジー女性像は押しに弱いリアル女子の反映だから、改善すべきはまず現実の女性だという反論もきっと出るでしょう。
でも女性に参政権がなく月経が汚らわしいと石を投げられ、顔も知らない相手に嫁がされる時代から、押し続けてまだ150年です。それでこれだけ男性にはびこった男尊女卑洗脳をうすめ(むしろ江戸などより男尊女卑がもりあがった面もありました)、現実と戦ってもきましたが、そこでもいきづまってるんです。
日本114位、過去最低 世界の男女平等ランキング :日本経済新聞
こういうときこそ、これから80年を生きて導く子供のためのコンテンツが正しい性役割知識に準じて見せて将来を打開すべきときでしょう。
 

5.(蛇足)性的消費ってなに? わかんない

「性的消費」とは何か
具体的に例示すると必ず「俺はそれでヌけないんだけど」と反論してくる人が100人くらいいるのでバカバカしい。あなたのチンコに聞いてません。
あらゆる場所に自分の好みの新規異性キャラクターをあてはめてくれないと買わないという態度、およびそのためにたいしてキャラ立ちもさせず使い捨てにされる異性像の異常性を顧みないことです*3
当然、女性も好みに応じた性的消費はしていますが「私はそれでヌけない(から男性アイドルは全員性的消費されていない)」などというバカバカしい主張まではしません。フィクション・アイドルに「いれあげて」おり自他の資源を消費している(批判がある)ということに女性はわりあい自覚的です。
日本よりさらに男女差別ランキングが下である、サウジアラビアなどでは実在の女性も人権が一部オフにされてて(たとえばスポーツや自由恋愛禁止)、商品(持参金つき子孫製造機)、消耗品(離婚簡単、姉妹の代替品)の扱いをされています。実在の女性の自由意志がない、人権がない、弱い立場におしこめられているわけです。
架空、実在の女性の人権の歪んだ認識が最初は小さくても望ましいものとして定着するともっと大きな歪みを次の世代に対して再生産しかねない。実際に宗教という洗脳によって、女性が消耗品となってしまった国が安定国家として存在している。
まっさきに自由であるべきフィクションの世界でも、洗脳できる魅力がある以上、「女性キャラなら欲望につごうよくラッキースケベで使い捨てできる」との洗脳だけはだめだ。特に子供向けコンテンツからは性的消費要素を取り除く努力が絶対に必要。
「俺それヌ」以外にも「性的消費は三次元にしかあてはまらないふりをする」「子供には性的コンテンツが理解できないはずととなえる」ことで二次元コンテンツでは性的消費が存在しないことにしようとしてもダメですよ。「絵師の仕事を尊重するためという理由で万人の見えるところに置く」行為も親、成人女性が見ています。
 

6.結論

「女児向けフィクション」として売りだしたコンテンツだけは絶対に男性向けに都合よくなびかないでください。
今生きている成人は(洗脳が解けろとはいえませんが)本当に丁寧にその未成年に向かう欲望目線を隠して棲み分けてください。欲望のままに自覚のない行動をするのは差別や犯罪につながります。堂々と欲望を満たそうとするな。卑怯さを自覚し、隠れて、やれ。
 
私からは以上です。

追記 萌えコンテンツにティーンはどういう態度をとったら(とらせたら)いいか。

BLはエロ本じゃない! - Togetter
「BLはエロ本じゃない」「萌え絵はエロくない」(だからティーンにたいして入手規制するな)。
どちらも、思春期男女がかかりやすいはしかです。しかもこの中には、本当にエロくないBLやエロくない萌え絵までしか目にさせられたことがない若者が混じっているのが困ります。
若者側としてはこの主張に対して大人からどういう回答が欲しくて言っているのか。
「はいそうですね、無制限にティーンにBLや萌え絵を供給してあげましょう」でしょうか。しかしそういう回答がつくことはありません。なぜなら実際には「成人向け」にはきっちりエロいBLや萌え絵が存在しているからです。BLで青少年保護条例に該当した本もぽつぽつでています。
北海道では、H29年に大手BL雑誌の11月号が該当しました。
 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/ss/bukai/H28yugaitosyo.pdf もちろん男性向けのほうが規制対象が多いですが。 
かといって大人が「実際エロいのがあるじゃないか。みて見ろこれを」と成人向けを突きつけるのも、セクハラであり、児童虐待になります。ゾーニング破りにもなりますね。
したがって、ティーンには「○○はエロ本じゃない」を発する前に無知の知を自覚することを期待したいです。
そして、はしかを目撃したおとなは「おまえ18歳以下だろ。成人向け読んだことないだけだろ。主語でかすぎ」とたしなめて、自覚させ、あとははしかが治るまで放置するしかないです。(18歳以上で「思春期はしか」をながびかせた人にもこれは有効です)
ネットでは相手の顔が見えないので、ポジショントークがからまわりしてしまいがちです。これも棲み分けの一種になりますが、表紙写真などをぶつける泥仕合になって迷惑するのは第三者のはずのコンテンツメーカーです。著作権侵害にならないよう冷静に対処してください。

*1:昔は腐女子という言葉がなかったので、古い腐女子は一時期オタクと自称していましたが、それをのぞいても、男性オタク御用達のコンテンツや商品を購入することがあるので、消費タイプとしてF2層とオタクを兼業していると思います

*2:萌えるのにも時間を捻出しなければならない程度には

*3:同性アイドル・キャラにも金を払う人は異性を同性と読み替えてください

ここまでにでてる創作神モチベ上げ行為をランク付けしてみる

なぜかというと、「感想のお手紙は書いたほうがいいか?」って迷ったという話を見聞きするから。
ではまずさけたほうがよいモチベーション下げファン行動からいきますか。
  
ツイッターで本音を漏らしてくれる作家さんたちを観察した範囲でもっともモチベが下がるファン行為とされているのは、

・ファンでない人からの悪口メッセージ。正当な理由もないのに悪者扱い。気に入らないなら回避して読まないでくれ・・
・本人に必ずつたわるように放流される陰口(=手の込んだ悪口)。
・モチーフ強制(逆カプ書いてください、死にネタやめてなど)が(代理受け取り人に削除なり緩衝されることなく)直接飛んでくる。
・純粋に好感をもってくれたつもりの感想手紙でも「後ろ蹴り」になっていてへこむ。(「○○は嫌いです、あなたのことではないですよ」の○○に作者側ではあてはまるつもりでいた場合)
・純粋に好感をもってくれたつもりの感想手紙でも作品の本質部分の誤読、ジャンル状況への無理解が読み取れ、ストレスがたまる。(ジャンル状況への無理解とは「なんでこんないい作品が図書館に入っていないのか不思議です!みんなに読ませたいのでぜひ私の通う中学校の図書館にも入れてください!」と成年向け作品の作者にねだるなどの行為です。作者側は「タダ読みせず買ってください」「表現規制と一人では戦えません」といいたいストレスがたまる)

次に少しモチベが下がりぎみなのは

・作品の内容をほとんど身内くらいにしか見てもらえないし感想もまったく来ない。ジャンル自体が寂れていて孤独感やからまわり感がある。
・作品を届ける手段がない、またはとても勉強が必要で面倒な状況。(創作者が未成年で近所にイベントがない)

少しモチベが回復するのは

・見てもらえて反響として内容に理解ある感想のお手紙がくる。
・商業から打診がきて理解のある(無理を言わない)担当がつく。
・マネージャーがついて脅迫状などトラブルがあれば適切な手続きをとってくれる。
・似たようなジャンルをやっている人が存在して共感や連携ができ、悪口や無理解な人の存在をほぼ無効化できる。

最高にモチベがあがるのは

・ファンが増え、金銭報酬があり、作品そのものを尊重されている実感がある。
・追随者も増え派生ジャンルやメディアミックスができる。キャラに希望の声優がつくなど。
・自分本来の創作ペースより少し早めろという圧が感じられるくらい要望や反響がある。

 
だという感じで、つまり、冒頭の問「感想のお手紙は書いたほうがいいか?」の答えは「手紙を書きたい人の理解度による」なわけです。あーでもお金を嫌いな人はいないし差し入れも代理人あてなら喜ばれるかなー。
 
しかし理解の有無以前にもっとも制作環境に影響があるのは現実、です。

・二次創作だと、原作で推しが死んじゃうとか勝手に知らないキャラと結婚しちゃう。
・二次創作していたら原作者や「公式(版権管理者)」に二次創作を禁止(迷惑行為指定)されてしまう。警告を無視してつづけると著作権侵害で警察に通報される。
・オリジナル創作でも、災害パニック含まれる創作やってたらそれに似た災害が現実で起きちゃって漫画の売れ行きを気にするどころじゃなくなってしまう。
・本人や家族や血縁などに金銭や健康のトラブルが発生して身動きとれなくなる。
・犯罪に巻き込まれて警察がきた。(ファンやアンチの暴走などもありますが警察沙汰の一部にすぎない)
表現規制にひっかかって集約的コンテンツ売買サイトによって不掲載とされる。

 
フィクション創作というのは、読者と作者が現実からの遊離されている状態が原則のコミュニケーション遊びなので、現実がフィクションに参加する人のどちらかをおっかけてしまうとフィクションはかってに自壊してしまいます。
もっと遊びたい人は困りますね。
でも、現実にこまる人がいるというのと遊びにすぎないコミュニケーションとは厳然と強弱関係が存在しています。
古来、創作者が現実においかけられて勝てた試しはない(ゴッホにせよ、アマデウスモーツァルトにせよ)ので、ぜひうまく回避なり予防していただきたいと思います。