残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

大人の体面

昭和40年代までごろってなぜああも大人びたことが好まれたのでしょうか
男はなぜか七三分けにして洋酒を飲んで葉巻をたしなみ海外出張で今よりずっと珍妙な英語をしゃべり金髪女の一人も買ってみる…というのがいろいろな当時の本で標準的な行動として出ています。
接待も相手の好みにかかわらず大抵はゴルフとお酒でした。
妻はその旦那のサラリーをどのように教育サービスなどに変換して子供に浴びせかけ、いかに学歴という体面を保つかを競っていたようにも思います。また「転勤族」の社交役として冠婚葬祭への家庭支出が今よりずっと多かったとも思います。
これらは一言でいうと「大人としての体面」をとても重視する文化であり、逆にいうと体面さえなんとか保てれば長期的な健康とか家庭の根源的な心地よさとか個人の能力(個性)を生かして「学歴」にこだわらずに伸ばすことなどは置き去りになる文化でもあったとおもいます。
文部科学省のこうあれかしも今よりはずっと強かったのでしょう。
 
どうしてああだったのでしょうか。武家社会~戦争~教育勅語~終戦勅語のあたりがそういう風に広まったのでしょうか。町人文化はどこへいってしまったのでしょう。
 
今でもそういうマッチョで重厚でヘビーな文化は世代の最奥部に残っていますが、
ヒッピーやら学生闘争など「大人の型にはまりたくない」という反動は常にありました。
体の面でもとりあえずアレルギーも増えたし、成人病の原因も究明されたので
自分は体を大事にしたいからそういうことはしない という理性ある行動のほうが主流になってるとおもいます。
 
自分は「体面」が面倒です。