残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

リバタリアニズム知ってますか~

堀江さんや橘さん、森さんなど、ある程度経営とか自営とか考えたことのある人はこれが念頭にあるのです。
「また堀江さんが軽く炎上した」ニュースをきくと、NAPORINは「ああ、普通の人はリバタリアニズムを習わないから誤解されちゃうんだなあ~」って思います。
ですのでNAPORINなりの言葉で、簡単にリバタリアニズムを説明します。
昔は「働かざるもの喰うべからず」でした。資本主義国家とか共産主義国家ができたのも、それだけ人類にとって「産」と成果物「資本」の分配がおおごとだったからです。
でも、今は「産」の分野で実際に仕事をしてほしい人間の頭数は減りました。
なぜなら石油と発電所と送電塔とインターネット回線と端末とそれをつかえるよう教育された少数の人がいれば「産業」に人手がほとんど要らなくなったからです。一言で言うと自動化されました。農業も本屋さんも以前よりずっと人が少なくて済むようになりました。しかも自動化が加速した1970年代から40年が経ち、エコ化・平和化しているので、中国やインドといった人数の多い国が参入してもオイルショックなど生じません。
これは、まさに、昔の人が考えた「未来のすばらしい世の中」の姿です。共産主義も資本主義もこの姿をもとめてさまよっていたのです。
いつでも親兄弟や仲良しの友人とスカイプやラインで楽しくおしゃべりできるし、わざわざ買いに行かなくてもamazonから水もコメもレトルトカレーも届く。困るのは災害時と福祉(とくに少子高齢化への対応)くらいのはずでした。
でも、今現実に人々はなんとなく困っています。リッパな働き口がないから、リッパな大人になれないから、憂鬱なのです。
働き口がないとお金がもらえない。働き口を求めても「産」には人が不要になったので携わらせてもらえない。しかも伝統的に無職はプライドをたたきつぶされるべき存在とされている(以前は実際に無職は寄生虫でした)。
そのため、人はみな、ものすごく考え込んでいます。
解決策は大体つぎのような感じ。
 

一つは、以前通り人の判断力がないとできないもの。プログラマ、医者、弁護士、第一次産業、スポーツ選手やコンテンツ作成(芸術家や研究者)、運転、それと福祉(育児、介護、料理、掃除)、対面販売業、窓口やコールセンター。ただこれは今はまだ保っていますが自動運転自動車の開発やインド・アジアの労働力によってかなり安価化への圧力がかかっています。医者・弁護士もコモデティーの波で安価化されています。
一つは、食材も労働力も自給自足することで「なるべくお金のいらない」生き方を求めること。昔で言う宗教の托鉢と似ていますが何でも修理や自作の方法がネットに載っていますからね。
一つは、国や企業という巨大なシステムのスキマに新しい生き場所を見いだすこと。古本のせどり、マッチング業(結婚サイト、出会い系)、サイト作成、士業、犯罪者など。

 
で、この全部に最初から当てはまり得るのが「無職」です。体をこわして働けないとか育児・介護中とか教育期間中とか会社がつぶれたとか使い切れないほどお金なら持ってるとか、いろんなタイプの無職がありますが、国に属するだれかが合法的に無職でいることは本来いつでもだれでも可能なはずです。
 

むかし井上ひさしさんという小説家が「ブンとフン」という小説を書きました。
何にでも変身できる大泥棒、どんな牢屋からでも脱獄できる大泥棒は、100人にも増えて、最後に捉えられて牢屋に入ります。牢屋で看守に泥棒は「毎朝ホットケーキを焼け。さもなくばすぐ脱獄するぞ」と脅迫するのです。また井上ひさしさんは「吉里吉里国」という小説も書いており、これは日本から独立して自給自足する国をつくる話でした。この小説家はアナーキズムだ赤だ、国家転覆主義を広める人だといわれて一時期は公安に目をつけられて不便な生活をしていたそうです。今はあまりアナーキズムという言い方をされません。

リバタリアニズムは新たなアナーキズムの位置にはまりこみがちですが、似て非なるものです。
上の3つあげた道のうちの3番目を重視する人たちです。たとえば、税金を払わないと脱税という犯罪になりますが、合法的な暮らしをしている人でもふと目を道ばたにやれば税金を払わなくてよい人とおなじ状況を合法に抜け道として作り出すことができると「気づいてしまった」人です。まだ国家が「そういうのは脱税になるからやっちゃだめ!」という法律をつくっていなければ脱税では(まだ)ないわけです。
別に政府がなくなりゃいいというわけではないのでアナーキストとはちがいます。テロ犯罪なんかもしません、命が大事ですもんね。ただ、ガンジーやキリストが国家の不合理な圧力には非服従だったように、自分も国という枠組みからもうすこしだけ自由であっても良いはずと判断して実行する人たち、がリバタリアンだろうとNAPORINは解釈しています。
 
もっとわかりやすくいうと今は課金スマホゲームにしろスポーツ(オリンピックなど)にしろ「あなたを楽しませてあげるから、引き換えに忠誠心(の一部としてお金)を分けてください」というコンテンツが溢れています。そういう課金対象では毎日応援ボタンをクリックすることで課金を軽減できたり抽選でイイモノがあたったりします。そして国も同じような課金対象の一つともいえます(たとえ毎日国歌を歌っても課金は軽減されませんけど)。
逆に、にほんという国に対しての課金は自分の場合は損だからなるべくしたくないと考えており、廃課金になるような道を選ばないですむためにあらゆる手段をつくす立場をネーミングしたものがリバタリアンだとおもっています。少しでもリバタリアニズムを知っていれば、熱中したゲームへの課金をお小遣いの範囲内で止める自制心が働くように、国へも、忠誠心*1というフィルターにとらわれずに合理的に考えられるオプションが手に入るわけです。もちろん、忠誠心をすべて捨ててアナーキストに退化してしまうと投獄されたりして損ですから、リバタリアンならアナーキストだろというのはちょっと違います*2

国民は国からサービスを受けられます。その中にはだだもれじゃないかと一部の人から批判されている制度、たとえば「年金」、「生活保護」や「失業保険」や「育児手当」「出産一時金制度」などいろいろな制度があります。批判ならまだしも、憎しみを制度にぶつける人もいます。そんな制度があったら「まともにはたらかなくなる」と。でもじゃあ「まともに働く」ってなんですか。頭脳労働それ自体は、自営や自宅労働やノマドで、どこにいても出来るし、成果物をメールでおくれるわけですし、セドリなんか本屋で立ち読みしてるようにしか見えません。上の1~3にあるように、旧世代の目には見えない労働の形がひろまっているだけです。「まともにはたらく」べきという人の大多数は旧世代の考え方を踏襲すべきと主張しているだけであって実効ある主張になっていません。
ただ制度がすべて有効かというと、実際の個人収支がどうなるのかは一人一人違うのでわかりません。NAPORINも年金はもらえず損をするとされている世代にあたります。小泉首相が「セーフティーネットを」といったとき、この無職主流の世代が来ることまで本当は織り込まれていたのかもしれないなと思います。*3
上に述べたように無職にはいろんな理由があります。全員がリバリタリアンになれとはいわないのですが、知っているとへんな忠誠心やへんな同調圧力にこだわらなくてすみそうです。
今つらい人が忠誠心にこだわって転職もできないまま他人ばかりをあげつらって「ずるいずるい」と恨みを吐くのはせっかく出来た全員幸せ社会への流れへの抵抗でしかないです。
働きたくない人は全員そろって生活保護をうけ、ミールクーポンをつかって毎朝ネットでみかけたふかふかホットケーキを自炊して食べて暮らしていてもよいとされる社会がいいとおもいます。
無職だから生保だからとプライドをたたきつぶされず(たとえば早起きしてゴミ出しして家の前の歩道の草をとって水を撒いただけでも十分社会に貢献したと思えて)、無職でも幸せに暮らせる社会というものを是非つくっていただきたいし、「産」の働き口の減る今後の社会は当然そうなるべきだとおもいます。
 
NAPORINからは以上です。

*1:=他人からみて不遜といわれるようなことをしたくないという消極的な忠誠心も多いですが

*2:海外では自らをアナーキストと区別しない過激派リバタリアンもいるようですよ。逆に、日本のアナーキストは、税の財源は相続税をずっとひきあげることでよいではないかという人もいて、本当に賢くておもしろい

*3:実際そのときの話は転職しやすい世の中にしようという意味でした。そして実際に今は、派遣で人の能力を見ながら雇うことができるようになりました。これは雇用は不安定になったものの、すごく能力主義社会を推し進めたといわれています