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犯罪者とメディア

ヘンタイとは「リアル」と「ファンタジー」の間にある「不気味の谷」を軽々と超える人の事だと思う。
 
あらゆるフィクション創作者は「不気味の谷」を埋めるテクニックを知り尽す。そして「ファンタジー」側から「不気味の谷」を超えた「リアル」まで思想実験をダウンロードさせようとする。
さもなければ人はファンタジーで危険を「うすうす」感じることしかできない。不気味の谷でかこってしまうとオトナの完成。オトナの認識する世界では不気味の谷によってリアルはフィクションと隔離されている。谷がない地続き状態を子供とすると、子供はおばけが出るからトイレにもいけない。そのような状態で人は安寧に暮らすことができない。絵本というフィクションでトイレにいけるようなことがあるのは、「リアルの上に安全というファンタジーを載せる」「不気味の谷はなおさら見ない」ことで安寧な世界をつくっている。
 
オトナになってもフィクションで不気味の谷を認識し直す作業はよく行う。今までの世界を囲っている壁を少しだけ崩してまた少し広めにリアルをとって積み直す行為で、オトナはようやく他社の悲劇などをすこしずつ認識にいれていくことができる。物語があってこそ慈悲も持てる。納得もする。
でもヘンタイは「リアル」と「ファンタジー」の間にある「不気味の谷」を軽々と超える、本当に見たいもの以外見ない力をもつ人であるからヘンタイと呼ばれる。そしてその多くはファンタジーの再生産や政治活動などで気が済むのだが、ほんの一部は法律や司法という大事なものも見なくなってしまう。ファンタジーとリアルが地続きになったことによる犯罪はおそろしい。
 
不気味の谷のうち、刑法だけは超えちゃいけない。(それと自然法則も)
 
もちろん不気味の谷そのものを逆に非常に喜ばしいものと捉えるようになってしまうような洗脳状態が自然発生すること自体はよろしくないとおもう。
でも、こわごわと谷を覗き込むフィクション摂取は健康な人、特にファンタジーとリアルのダブルスタンダードをいくらでも併存させられる余裕のある人にとっては心の栄養、リクリエーションでもある。
 
さらに極端な仮定をいえば、あらゆる危険を「だれかの手」でとおざけては人類の文化全体が未成熟になるばかりだ。「もしもこうだったら」という仮説や思考実験を停止した瞬間、その文化の発展は死ぬ。
エデンの園から出た人類は自分の手で不気味の谷を築きつつ、それに魅入られるものがでないようにしないといけない。でもヘンタイゆえ殺人犯罪を犯したものをすぐ殺すのもおかしい。
とても難しい仕事だ。