残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

性格の悪い人の老後はくらい。(ベアーズ)

デキる人、ヤリ手の人、経営者ってのは正論をとなえて性格が悪くなりがちで、それは他人ができないこともできるから。心が強くできているので、他人が嫌がることもできてしまうからだ。正義の味方に似ている。敵認定したらだれに遠慮無くやっつけるだけの人がいてくれないと、こっそり裏で敵の事情を調べて失脚させたり交渉することがやりづらい。善人は守られないと善人でいられない自分を知っている弱い人でもあって、さっさと「およめさん」になったり、いつまでもだれかに愛される子供でいたり、空気で職場をえらんだりして自分の欲しい環境を手に入れ、こそこそちまちまと根回しをして生きる。
 
子供の内から頭がよく切り捨て・切り替えが速い子、話し出したらとまらないような子*1がいる。一方で頭は良くても黙って自分の内部でよくものごとを練り、大事なときだけ文字や絵でこうだと説得する子もいる。
前者は小学校では頭がよいとされる。発言もするし積極的だと。それだけを尊重されて育つと、相手の気持とか社会倫理上での善悪まで含めて考えてから口に出す習慣がつかない。社会に出たら縛りはないためヘッドにはもってこいだからそのままイケイケな大人となる。
でも鶏口牛後も通じなくなった平成の世に馴染みがよいのは後者で、前者は性格が悪いとみなされてだんだんと孤立する。
前者には決断力というか他人を圧倒する力、「心理的圧力を行使する生得的な力」はあるので、経営者となって汚い手もつかいまくって社員を庇護できるのであれば、傘下に人がよってくるということはある。
そういう「性格が悪いと見なされるほど出来る人」はもうジョブズなみの秘書付の経営者になるしかなくて、采配を振わ(せてもらえ)ないと居場所がない。そしてなしとげた仕事の多寡をボーナスとか出して褒めてもらうことで愛されていることを感じるしかない。*2
 
そういう人が引退して寂しくなると、またお金が無くなると、つまり振るえていた「正義」を愚痴ることしかできない立場*3に落ちると、へんなところで無駄に采配を振おうとしてウザがられたり*4、空気を読まず自分の身のまわりの困った話ばかりをいつまでもしている。いやそれは今の世間的には恵まれているのだよと何度いっても通じず「社会人なら生涯で3億円くらいは当然稼いで3人の子供をもち土日祝日は完全にお休みで平日も5時までかえってきて塾の送迎をしてくれなくてはダメ」とか「○○しないから家族を病気にしてしまって」などと平気でひどい言葉を口にのぼせる。昔はひどくなかったのかもしれないが今はひどいのだよそれは。ブラック家庭だね。そしてあの人だけは顔をあわせるのもいやだといわれる存在になりはてる。老人養護施設でも…といいたいがそもそも本人は体力に少しでも余裕があれば「老人でくくられるのが不愉快」とてんから検討しない。チィチィパッパはイヤダなどといって人を見下すことは得意中の得意。自分で自分たちを養護できるといいはって失敗して余計なトラブルをおこす恐れもあるとひやひやして見守るうちにボヤなり口で災いを起こして、自分で自分のプライドを叩き折って鬱になってようやく入所、それこそチィチィパッパしか誘う口実もなにひとつないくらいが典型的。
 
こういう人は常に張り合いがなければいけなくて、常にマウンティングこみの労働をしていれば自分の体は悲鳴をあげても心は満足なのだけれど、それがなければ端的にはお金を使ってストレス解消していないといけない。若い内だと、男の人だとキャバクラや酒(おごる)にいったり、女だと買い物依存症で着飾っていたりしたり。その他のいかなるストレス手段も知らない(ほぼ無価値に見えていて採用できない)ので、着飾るべき自分がなくなって*5欲求さえ何もなくなった老後の過ごし方がとても難しい。やはり日常になにか苦行を課すことで報いとして3億円くらい得られるという考えが染みついているので苦い青汁を飲んでお金を失い体調を壊したり、のんびり幸せに暮らすことを自他に許さない。自他への基準が若いときに高どまりしたまんまなのだ。一病息災なんてなぐさめの言葉も5病くらいに増えてくるとしゅんしゅんとしぼんでしまう。いかなるはげましも通じない。若い頃の自分が今の老いた自分を許さない。
 
身近な幸せを見いだすちょっとしたテクニック*6は、成果を重視する人には満足できないものにしかみえない。昔は街にでかければあった接待も今は自分がお金を出さなければ買えなくなった。おじいさんおばあさんはめずらしいものではないので親切にするべき子供のほうを大切にしよう。
平成生まれにもそういう人はいるし、おそらくそのリーダーシップは要所要所での発揮は最低限必要ではあるけれど、もうすこし相手を人間として見ないと、相手にも当然人間としてみてもらえなくなる。心ぬきで体と頭を直結した状態が「労働」なら当たり前なんでしょ。わかります。
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この手のマウンティング過剰な人が要ると周りに鬱病がめちゃくちゃ増えるので、本当に若いうちの心の健康と就労体験は大事なものですのであなたがいるなら辞めるという言葉も本当合理的です。元気で鬱病になりにくいタイプと思っている人でもおかしいなとおもったら辞めたほうがいいです。
この手の人は鬱病になった人が周りにいると「私のせいではない」、身内でも「私の血筋ではそうはならない」とまず100%はねつけます(防衛に入ったつもりらしいですがその検討過程を全部口に出して人に訴えないと気が済まないし、「あの人が悪い」となるまで悪い人さがしをやめない*7ため、過剰防衛=攻撃です)。その経験が増えれば増えるほど「自分だけは病にはならない」という前提で行動しますし、本当の本当になにかの病気になっていても非常に賑やかに訴え、体力が失われたようには見えない(どの病気でも同じテンションで騒げるのは一種の才能だけど、本人は余計危機感をもって騒ぐ)。さらに散々訴えまくって「ちょっとその傾向は見受けられます」と大学病院医に認めさせたらあとはネットで「あなただけに効く特殊な(世間的にはマイナーで治療例も確立されていない)」治療法に飛びついた上での失敗(目的の不具合は治ったが別の病気が増える)も多いです。
たぶん今だと高機能発達障害なり人格障害にあたるのかもしれませんがこういう育ち方、暮らし方、老い方を否定できるほど確立された知育もまだない。というか、今精神科にいくと一昔前のアメリカみたいに、怒りを覚えたりイライラした人ならだいたい発達障害か鬱か人格障害におちつき、薬を飲むことになりますね。それも正しいのかわからない。
引退して長く生きる世の中、まわりからは励ましの手もアドバイスもできない(無理にやろうとしても鬱病直行です)し本人もうけつけなくなっていつのまにか孤立してしまうので、もう最終的には配偶者さんだけが頼りですので若い内に一緒になったことを後悔なさるかとはおもいますがみてあげてそれなりに大事にしてあげてください。子供世代はこういう人を合理的に本人が苦しくないように支えるのは無理としか。

*1:「つまらない工作授業であればさっさと課題をこなして雑談し、余所の子が工作に熱中しているあまりトロい片付けをするのを待たず先に終礼をおこなうよう教師に圧力を掛けることに全力をかたむける」なんてのを見掛ける

*2:ようするにモーレツ世代の育ち方はそうなる。昭和の人と今モーレツでやっている中国の人は相性がよいだろう

*3:が実は世の中の大部分なのだが

*4:たいていその場でスマホもってる人にまかせればよいのだがでしゃばってそのあと落込む

*5:欲しい服はamazonヤフオクか今ならメルカリで安くかえるけれどお店への接待部分へのお金を惜しむ

*6:いわゆる「普通の思いやり」よくいえば愛情を表現することで悪くいえば相互グルーミング

*7:あの人より自分が悪かったと認めた瞬間に心が折れるらしい。それでも生育歴などに原因を捜し、生きていれば親か配偶者に倍ひどくあたりはじめることも。しかたなくあなたは悪くないとなだめても心の奥底ではじゃあなんでこんなに孤立したのかと問いかけつづけ、ヒステリーを起こすため、まわりが先に鬱になる