残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

今の著作権はPPAPを守れないのではないかという話

AIと著作権について考えていましたなぽりんです。長い話をします。

まず、たとえ話として自動運転自動車におけるサービス精神の循環について考えます。

道路交通法とか司る国交省がある。

・それにそって自動車メーカーが自動車を作る。かっこよくて燃費良くて安く売れる、なんなら自動運転で安全な車を作ろうと思う。

・タクシー運転手がいて、接客態度とか道路状況について研修を受け、お客さんに役立つタクシーになり、どんどんタクシーに乗ってもらいたいと思っている。

・乗客がいて、乗った感想をタクシー運転手、タクシー会社、ネットのブログやツイッターなどで発信する。悲惨な事故、開かずの踏み切りなど問題があれば、感想が多く報道されて、国交省が動く。道路の車線が増えたり、踏切を工夫して、また自動車社会が発展する。

このシステムでは、それぞれは全く別のことを第一に考えて仕事をしていても、ぐるぐるお金や投票行為が回っているので、最終的には良い乗車体験という作品がうみだされます。この循環は、昔は、勘や感触だけでコントロールをしていましたが、いくつかの段階でビッグデータも扱える人工知能の出現でスピードアップしています。渋滞のない道路もおそらくもうすぐできるでしょう。

さて、それと同じことが創作でも起ころうとしています。

・グーグルやツイッターやコンビニ、ゲーム会社、その他のネットワーク運営会社が持っているビッグデータがあります。

・そこからデータ研究者により機能を志向づけしたAIがつくられます。*1

・AIはライセンスで分売されることも多いです。AIを使ってみたいのでライセンスを買う人のことは、この記事では、ライセンシーと呼びましょう。創作の補助にAIを必要とする創作者であったり、操作者、など、場合によって色々と呼び名がつくのでしょうが、ライセンシーでまとめます。ライセンシーはAI制作者と同一人物かもしれませんし、人類の未知なるレア作品を求めて創作ガチャを引くゲームプレイヤー的な人かもしれません。

・最後に、ライセンシーがAIを使って作ったコンテンツを見て、趣味に合うものを投票したりブクマしている閲覧者がいます。その閲覧行動がグーグルに捕捉され集計されてビッグデータに循環していきます。もちろん、いままでの創作にも取材や市場調査、表現テクニックの勉強などが必須で、加えていまはAIという選択肢もあるだけで、大して難しいことをやっているわけではありません。

この循環は人類を発展させる循環です(産業ともいわれます)。循環に関わったひとは、コンテンツ使用料や、ライセンス料などで報われるべきです。AIだけががんばっても意味がない。どこかにお金を出したり時間をかけたり勉強の努力をして、がんばってAIを使って作業している人が(見えにくいですが)います。

その人がAIを使って作ったコンテンツだけが、「AIがつくったから」という理由で保護されないのはおかしい。手書き漫画とデジタルトーンマンガはすでに同じ土俵でたたかってますよね。AI使用作品もそのように、閲覧者を感動させられたかどうかでのみ判断されるべきでしょう*2

でも世間からは、AI使用作品を著作権保護すべきでないとして、特別視する考えはなかなか消えないでしょう。引っかかりやすい点がありますので。

電気代だけで粗製乱造されたら? ひとを害するような、たとえば健康被害の原因になるシーンのある作品がまじってたら? (もしかして洗脳されるのでは?)やだこわい

ここで気付いてほしいのですが、多数の作品がランダムに作り出されても、そのひとつが好ましいものとして特別好きになってもらうには人間のセンス、つまり選択(選別)作業をする者とか発表舞台が必要だということです。AIだから守らなくていいというのではなく、そのいいものを選び出したり、発表舞台をつくるひとの労力もこれからは報われるべきなのです。わたしはこの役割の人を選択者と名付けたいです。選択者は、AI制作者、ライセンシー、閲覧者のどこかにいます。PPAPでいうジャスティンビーバー(の目に触れるほどリツイートしたファン)や、マンガ家における編集者などがいます。「面倒を見る人」がいてこその作品です。

AIはまるでブラックボックスのように扱われていますが、最初のたとえを思い出してください。自動車だってブラックボックスです。自動車のギアがミッションからオートマに進歩したとき、わからないけど運転が簡単になるならうれしいから、ぜひ使おう、免許をとろうとおもった人も多いでしょう。この程度のブラックボックスは日常にいっぱいあります。人間は適応能力が高い。どんなブラックボックスもさわってみて、実験して、動きを理解して、結局おもちゃにして来ましたから、今回もなんとかするはずです。

ただし、循環が止まる法律が残っていれば自動車みたいにうまくいくことはありません。コンテンツとお金の循環が成り立つのが遅れ、自ら選択者としての「面倒な」役割を担うひともいなくなり、日本国内ではAIコンテンツが産業にならず立ち消えしかねないでしょう。

そこで目につくのが、著作権法第2条第一項です。この法律は、思想及び感情の創作的表現を著作権の保護対象に求めています。

第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一  著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO048.html
総務庁法令データベースより引用

AIは本当の意味の思想、感情を持ちませんから、この条文があると、ストーリーなど主要部をAIに託したものはおそらく著作物とは認められなくなるのでは。というか、今までもこの条文は話をおかしくしてきました。

人間が作ったものでも、思想、感情をかくし、視聴者に解釈を委ねる形式のものが増えてきていますし、これらは当然保護されます。PPAPなどはその最たるものだと思うのです。歌詞もダンスも、過剰な意味付けをさけ、感情も思想もない、しかしなぜか楽しさという感動を与え、気分を45秒で切り替えてこれる、得難い作品です。が、2条1項はこういうさりげない作品を法律の冒頭であらかじめ強烈にdisってるように、私には見えて仕方がありません。

また、別の条文では思想、感情が含まれずともデータベース*3著作物であるとはっきり定義しており、矛盾しています。この矛盾を、裁判所では「二条1項をだまって無視する。それでだれも困らないのだから」というあいまいなやり方で闇におしこめてきました。

実は著作権法は、他のどの「知的財産を保護するための法律」でも、保護できない頭脳労働物を、全て押しつけられて迷惑してる法律なのでしょう。だから、二条一項の条文だけをとって*4変更するだけで全て解決するわけではないでしょうが、今までもこまかく対応してくれた著作権がやはり新しい頭脳労働を保護することになりそうですから、そのためには2条1項を少し改正することで、大きく前進しそうだと思います。*5

私はAI創作に期待しています。AI創作の実用化の暁には、うちのご先祖だけが華々しい武将の陰で大活躍する大河ドラマが読みたい、見たいという特殊な読者に応える「オーダーメード創作」とかいわゆる「夢サイト、夢小説」がもっとうまくできるようになるでしょう。また、あまりに質が上がったら値崩れを防ぐダイヤモンドと同様、供給をひきしぼってAIの名作をゆっくりあじわってもらおうとする「シンジケートやカルテル」ができ、政府委員会に調査に入られるかもしれません。今後が楽しみだからこそ、みんなで著作権を考えようよと思うなぽりんでした。

*1:人格を持った万能人工知能は、いまはまだ考える時期ではないです。

*2:感動、というのも語弊がありますが、この場合は「利便性」とか「囲碁や将棋など勝負事のレート・ランキングで最強」とかいう、感情でなく数字できっちり評価できるタイプのものであっても含めて広い意味を指しています

*3:という言葉もビッグデータ人工知能を含むのか今となっては再定義が必要ですが

*4:たとえば、「思想や感情、または、存在価値を(世界にたった一人でも、だれかが)読み取れるものはすべて著作物だ」とでも変更すればよい。こんな曖昧な条文がいやなら、最初から消しておけばよいです。アメリカは定義がなく判例で時流をフォローしています。

*5:いや、著作権にこだわる必要はないという人もいるでしょうね。わたしも、別途、著作権でないたとえば「デジタルコンテンツ利益分配法」なんていう法律ができたってかまわないほど大きな転換の局面じゃないかとおもいますが、通常、ライセンス時の利用規約とか出版契約で当事者同士が適当に決めてますからそこをつぶす必要もないかと思って