残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

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保護と差別

結構難しい話になるんで、ゲーム関係の方はスルーで結構です。

 
飯テロと感動ポルノという言葉があります。もちろん、暴力やエロスをたとえに使うので子供のいる場所でおおっぴらに広まってほしくない言葉です。
 
これらをわかりやすく説明すると、自分としてはテロのほうは、「ショッキングなほど良い」
ポルノは「不自然なほど美しい」と置き換え、
飯テロは「高カロリー料理の写真を使って、健康のための絶食志向(深夜、ダイエット中)の人間が見ればショックをうけるほど食欲をそそらせること」
感動ポルノは「差別する側を隠して被差別者だけを浮かび上がらせて形だけの解決をつけた不自然な感動エピソード」にあたると思います。*1

 
被差別者をとりあげて助力なり見守りつづけると、共感がうまれ、とうとう差別が解消されたときに感動が生まれる。この図式をつかって文学者がいろいろな物語をつくってきたし、今もそれを報道機関の本来の使命ととらえて、今だに守ろうとテレビ局が作っているテレビ番組が存在します。
ただ、昔とちがって今はネットがあるため、「マスコミが差別する側を特定してしまう(たとえば名指しする)と、容易に次の被差別者になる」という事実があります。ですので、フィクションとちがってノンフィクションでは「悪役」ととらえられる可能性がある人は、行動や属性を確定できるような情報は放映できないことになります。
(なお、また少し別の問題ですが、もし差別の方法、犯罪の手法を放映してしまうと、大多数は「ああいうことはやってはいけないんだ」と理解しますが、一方で「自分のやりたい目的のために使える」と考えてしまう人もいます。この理由でも非常に難しいです。)
 
政治という日本最大の長寿ノンフィクションドラマでも「悪役は排除しよう」という純粋でわかりやすい動きが過剰に働いてしまうのを、ものがわかっている人が問題視しています。
 
ジブリで作られた映画「平成狸合戦ぽんぽこ」も「構造」「図式」をつくりだすマスコミに対して最後にチクりと刺しています。
 
しらべていくと結局、差別を行うのは、差別されている人なのです。
たとえ話として「先生はハゲ」と連呼する小学生がいたとします。先生は小学生から「ハゲ」と呼ばれると、それは他人の肉体的な部分を自分の基準にあわないという理由であげつらう行為であるから差別だよと教えます。しかしそもそもそのような小学生は大人から差別されていて、知能も大人より劣るからそのような行動をしているわけです。「ハゲというやつがバカ」。子供は大人に管理されます。あまりに授業の邪魔をする子供がいれば先生と親が話し合って処遇を決めることになります。10年もまてば小学生も大人になりますが、いつまで待っても大人になれず保護者が必要になっている人も世の中にはいます。というか完全に保護者がいないとおもっている人のほうが珍しいし、一人だちしたという人もやはりなにかしらで支えられている。そうでない人はたぶん無人島で一人暮らししている人だけでしょう。
 
仏教ではハゲもバカも救いましょう、みんなで大人になりましょう、という大乗仏教の教えがありますが、このような宗教を借りてくるわけにもいかないただのテレビ局が、不器用に差別の解消物語をつくっていくのを、毎年見ているのはなかなかつらいなあと思うわけです。
かといって感動ポルノだとけなすつもりもないです。
 
NHK バリバラならいいのかというとそれもなんだか違う。
すみわけは一つの解決案ですが、100%の解決かというと、すみわけた場所の間では余計差別が進んでしまう。国と国が分断された今の世の中で、国と国の問題もたくさんありますけど、世界が統一されたとしても、やはり小さな差別も、国と国の大きな差別さえも、なくならないんだろうなとおもいます。あの国は私たちの国に差別されたと感じているが、私たちもあの国にいじめられていると感じている。そういう問題たくさんありますね。

これはいわば壮絶な戦争の話ですが、国と国のではないです。一度は統一国家ができたのに、差別者と被差別者の戦争が現れた、という感じのエピソードを含む話です。未来の「すみわけ」の失敗例をすごくよく示している寓話です。お暇があれば読んでみてください。
 
もしすみわけたとしても、人一人の度量とか、共感したり他人を支える力とか、そもそも知る力・理解する力にさえ限界があって、大乗仏教が求めたように生きている人全員が「仏様」レベルの穏やかで人を害しない人になるってものすごく難しいことです。
すみわけの最小単位が家族だったのですが、家族でも全く意見の合わないケースって出てきます。他人の悩みにまで付き合えない。人一人がなんとか他人を差別しない代わりに私のことも差別するなといって生き抜くだけだ。小乗仏教ですね。
私にもできることはリアルでの家族の支えと、ネットでいえば沈黙と投票くらいだろうとおもいます。
 

ということでアフィがどうとか面倒を抜きにしても、あまり時事ネタを書かないほうですが、だからといってゲーム攻略ばっかり書くのもどうかねえと自分で思うなぽりんでした。
あー・・すみわけの楽園たるイベントに行きたいなあ・・


テレビってみんなが見るものすぎるってことかもしれない。
ネットも昔なら「半年ROMれ」「嘘を嘘と見抜けない人には難しい」などいろいろなすみわけの知恵があったのかもね。
今はあまり広まっていないですがIQが20違うと話が通じないというのもあるそうですが、そのIQ自体も測定が古いなどいわれているわけで、要は話題に対する素養のあるなしが非常にばらつきがあるのに同じ掲示板などに集まると、もめごとが起こりやすいということですね。

*1:差別と区別は違う、自分は区別しているだけだという人もいるのですが、差別の語源はhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11122405616で分け隔てということです。意識の上での分け隔てがあるとどうしても行動に出るから問題なのですよね。そして意識の上での分け隔てってテレビ局が取材がてら芸能人を派遣して解決の手助けをしたくらいで解決できることなのかなと。それくらいで解決しているのなら、テレビ局が来る前にもなんとかなりかかってたことなのでは?