残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

雑記、自称オタクが仮想敵フェミを相手に炎上を起こしている件について

ネットスフィアに、若くて主張の整理されてない人たちが増えたなとおもっています。わざと混乱させるため一人二役で荒らし行為をしている人もいます。(自作自演までは匿名の状況のためはっきりとは確認できていませんが言葉遣いの共通点などからみておそらくあると思います)
ほぼ闇討ち内乱状態になっている増田から少し題材を拾って整理して書きます。
実際に増田で書き込んだ自分の書き込み(を自分で改変したもの)が多くあります。自分以外の人の書き込みは直接引用ではなく要約して説明するにとどめたので、著作権侵害規約違反の心配には及びません。
 

 

用語「フェミ」、「オタク」について

フェミニスト」は昭和では女性に優しい男性の形容詞であった。
今は、「自称オタク」の表現の自由推進過激派によって仮想敵として狙われた女性につけるタグが「フェミ」である。今やり玉にあがる「フェミ」は「普通の女性」と言い換えて良いと思う。今、自分をフェミと認識している人はそれこそ社会学者にしか居ないため、いきなりフェミ呼ばわりされ炎上させられまごつく女性も多い。
繰り返して言うが「自称オタク」にフェミと呼ばれた人は普通の感覚をつぶやく母親や成人女性だと思っている。(さすがにある種のコンテンツを嫌う女児その人をフェミ呼ばわりすることはないらしい。なぜだろう)同様にウヨサヨも理解できない他人につける仮想敵グループ名であり、正確なものではない。こういういいかげんな用法をしていてモノホンに怒られないのはひとえに増田の匿名性と呼ぶ側の逃げやすさのためだろう。
 
自分からみるとこの「自称オタク」はコンテンツそのものを愛しているわけではないので偽オタクだ。「フェミ」を叩く人の真の姿は表現の自由のために戦う戦士気取りの無知な人でしかなく、正しく呼ぶなら「自由の戦士」(米国で皮肉をこめて呼ばれるソーシャルジャスティスウォーリアーの一派)であると思う。

「自由の戦士」へいいたいこと

・自由の戦士の中には「表現の自由基本的人権であり他のどの基本的人権よりも優先する」と繰り返し主張する人が存在する。しかしそれは法律家に支持されていない。表現の自由とは「表現をする側の自由」であり作家さんたちはピクシブなどで表現の自由を達成できている。「表現物を入手する自由」は現状、法律上に根拠をもたない*1権利なので分けて呼ぶべきであり、ここでは仮に「シコ権」とでも呼ぼう。
・「シコ権」は適度に達成されている。自由の戦士はシコ権がフェミに侵害されていると騒いでいるが、成人はシコ権を侵害されていない。もし表現規制の対象となってゾーニングされていても成人ならたいていネットで購入できる(作者本人と連絡もとれる)。
・一方で子供のシコ権は青少年育成条例有害図書指定で制限されていることになる。が、これはエロや萌えコンテンツにかぎらず暴力なども同様である。この指定は地方議会が発売前に行うので「フェミ」たる一般女性に責任はない。「フェミ」が直接今までにシコ権を侵害した事実はない。
・と書くと「フェミによって規制された作品リスト」としてCM集を挙げてくる人もいたが、CMは一般には自由の戦士の守りたくなるようなシコ権(作品)ではない。買ってまで見るものでもないし、見たければユーチューブや魚拓で見られる場合も多い。そして自由の戦士はそもそもCM作品に金を払っていない。
・(表現規制にかかる図書は必要に応じてゾーニング済みである一方で)、テレビCMは自主ゾーニングができていない。そのため誰の目にも入るようになっている。もし抗議すべきとしても、「フェミ」という名の一般女性に抗議するのではなくCM自粛した企業、またはゾーニングがうまくできていないテレビ局が相手であるべきだ。
・真のオタク・腐女子表現の自由を行使し、表現をし続けた人)なら幾多のジャンル戦争により棲み分け(ゾーニング)の大事さ、表現規制の遵守を自然に覚えているものだ。自由の戦士はお客様気分のままオタク分野につっこんできて、20年かけてオタク・腐女子が警察やコンテンツホルダーと相談してつくりあげた秩序を乱している。とても迷惑だ。
最大多数の最大幸福の原理により、最大多数が「迷惑だ」と感じれば基本的人権でさえ一部法律によりオフにされる場合がある。すでにある人権オフの事例では刑法による処罰などがそれにあたる。
・自由の戦士は、コンテンツ乞食をやめて、表現の自由のための戦士もやめて、差別的だの教育に悪いコンテンツには適切な手間暇かけて隠し(ゾーニング)ながら適切な対価を払え。大人なら出来るだろ。それができない子供は表現をほしがっちゃだめ。コンテンツを入手できない世界が悪いといって暴れてもだめだぞ。

製作者を忖度する人たちについて

・アニメ業界は美男美女の出演している円盤を買ってくれってことしかいってない。 (ゲームも課金してくれとしかいっていない)。それ以上のメッセージ(特に政治的なもの)は受け取り手の「勝手な妄想」だ。妄想と現実を区別してコンテンツを楽しもう。
・「表現規制がかかると売れ行きが悪くなり作家さんがかわいそうだ」と心配するふりをする自由の戦士もいるが、心配するくらいなら見当違いのフェミ叩きで女性ファンをへらすな。ひたすら作品を買い支えろ。それでしか「お客さん」が製作者を支えることはできない。

特殊ジャンル作品と思春期ハシカについて

「(タイトル)○○ジャンルは理解できない! (本文)特に××とか。でも△△なら理解できる。」
どうかんがえても○○の一部である△△は理解してる(好きな)のに、タイトルで主語大きめにしてジャンル全部が「理解できない」ってつけてしまって批判、拒絶している。矛盾した行動により自分の首をしめているばかりか、将来味方になったはずのジャンル専門オタクに見つかれば糾弾され殺されるやつだ。増田では頻繁にタイトルを大きめに設定することでなんの縁もない他人につっかかっていく不用意な行動を取る若者が観察できる。
増田にいる「オタ」もツイッターに見かける「フェミ」もちょっとヒドイなと思う人はまじっており*2、だいたい出発点はこれだ。思春期ハシカは「自分の好きなものだけが正義だ、あとは死ね」と叫ぶことから始まる。もう迷惑だからネットへの公開投稿は免許制にしてほしい。

「お気持ち」について

お気持ちよりロジックが強い? まさか。これからも子供がどんどん増田に、ネットに入ってくる。子供ほど気持ちしかない生き物はいないし、子供の気持ちを押し殺させるのは虐待だ。きちんと気持ちを認めた上での折伏技を今のうちに極めておかないと、「わざわざ言葉で表現した気持ちもわからんお前は安いAIかwww電気代払えwww」で終わりだ。「お気持ち(頂戴しました)」と唱えても、議論したことにはならない。
ただ、大人相手の場合には、もし「個人的には苦手」なことがあっても、それを公的に表出すべきじゃないという指摘は、「お気持ちしかないフェミ」にも、「お気持ち狩りする性欲ドリブン男」にもとてもよい指摘だと思う。他者の気持ちを踏みにじる前に自分が気持ちだけでつっぱしろうとしていないか考えろ、なんなら先達に訪ねろ、ということだろう。自省目標としてなら利用する価値はある。
気持ちが一部に混じっていたとしても他者の論理を切り捨てる理由にはならない。人間に「気持ち」「感情」があるのは当たり前のことだ。「迷惑防止条例」などがあるとおり、迷惑と感じる感情が原動力となって法的強制力が生じるケースがままある。

用語「排外主義」について

(増田は外国ばかりでなく自分の外部にあるもの、たとえば異性などを排する行為をも指していたので定義を合わせてつかってみる。)
最初から排外しなきゃいい。
無知の知」(ソクラテス哲学)がない人(今風にいえば、「自分でググることを知らない人」)は、なんにでも首をつっこんで、理解できない場合は「外だ」と見なし排除しようと必死に長文を書く。
相手を表層であれ理解できれば、外とは見なさない、ただそこにある街路樹のような穏やかな存在となる。
理解と棲み分けさえできない連中が理解できないと騒ぎ、「私たちは20年前からずっとここにいたんですが?」と反論されると発奮して一人で「排外主義活動」をし始める。カッコいい名前であればあるほど滑稽だよ。

より本当らしい表現規制?の例

前述のとおり自由の戦士にとってはフェミがもたらすものだけが表現規制だが、実際には表現規制は他者の手によってなされている。
・まずは地方自治体の青少年保護育成条例による規制対象となった有害指定図書の例。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/ss/bukai/H28yugaitosyo.pdf
自由の戦士は実際の規制のことを何もしらなかった。私が「エロ以外の図書も規制されている」といったら、ソースを示せというので、いろんなジャンルでバランスよく有害指定された年度のリストを例示してみた。もちろん発売前の本を発見できるのは「フェミ(と呼ばれがちな一般個人女性)」でないし、有害指定したのは地方議会である。
 
表現者の権利を守るため著作権侵害サイトは受け取り手との接続を規制された。
海賊版サイト:遮断要請へ 政府、著作保護に「緊急避難」 - 毎日新聞
これは本来の表現規制(創作者側に不自由を与えるもの)ではなく自由の戦士が何より重んじる「シコ権(表現を受け取る自由)」が規制された例にあたる。法的には著作権侵害の防止がアクセス権に優先された事例にあたり、かなり議論された上のことである。もしタダで好きなだけ漫画が見られるシコ権がほしい自由の戦士がいっちょかむならここだったはずだ(実際そのような動きもあった)が、増田にいた自由の戦士はやはり増田にひきこもって暴れていたのだろうか?
 
そのほかにも表現規制ではないがゾーニング、棲み分けレベルの努力がなされているものもある。
 
・ベクデルテスト
ベクデル・テスト - Wikipedia
男女差別の是正が進む表現大国ハリウッドでは、#metooより前からベクデル・テストが知られている。
もちろん、それは大人からすれば単に作品選びの目安でしかないが、子供には偏った見方を与えることは良くないから、結果、テストをパスできない作品は必要に応じてゾーニングされるだろう。映画には年齢制限があるし、ゲームでいうCERO年齢制限もある。本もゾーニングされている。成人が男女差別の印象を与えることもかまわずつくられた作品がみたければそうする自由はもちろん残されている。「フェミ」は関係ないですよね。
 
・犬が死ぬ作品が耐えられない人のためのサイト
犬が死ぬ映画かどうか事前に教えてくれるサイト「Does the Dog Die?」

 
偏った作品は、エロの他にも、グロ、スプラッタ、スナッフ、テロリストの使う洗脳フィルムなど、信じられない悪徳を記録したフィルムが世の中にはたくさんある。
偏ってないように思えても苦手な人がいるため特殊なゾーニングを必要とするコンテンツもある。
 
万人向けでない特徴を持つ作品を、子供や、「そういうの苦手」な人の眼の前にだしっぱなしてセクハラ・精神虐待をしてはならない。
よって表現は今後ともきめこまかく規制(というよりゾーニング、分類し受信者に合理的選択を許す形で提供)される。それがこれからの高度情報化社会で楽しいコンテンツを摂取するにあたり本来あるべき姿である。
表現規制(実際にはゾーニング)」を憎むのはお門違いだし、そしてその原因としてフェミを憎むのはもっとお門違いだ。
男性のなかでほんの一部の、勘違いした自由の戦士の私怨行動である。

 
重苦しくなったのでちょっと心を浄化しておわりましょうか。
知らぬ間にポリコレが根付いてた すごくまともだ・・
イスラム研究者の池内恵氏がキズナアイをバッシング中 - Togetter すごくまともだ・・

*1:というか、金と購入資格さえあれば買えない商品などない資本主義社会において、侵害に対抗する権利としてわざわざ存在認定する必要がない

*2:当然年齢は推測しかできないが言葉の不用意さからみて社会経験が少ないか単に若いのだろう