残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

大学進学は貧困解決の手段になるか?

大学についてよく考えるなぽりんです。
「大学は貧困解決の手段になるか」という文章をよみました。この「貧困」というのが小乗仏教的な意味(すぐに自分の家の家計の足しになる)であるならば、こたえも小乗仏教とおなじく、人によります。
大学で個人的に考えるところあり、悟りを得、途中で中退してでも天職を探しあてられればその人は「貧困」ではなくなるかもしれないという意味です。そういう大学でなにかに巡り合えた人にとっては最高の職業養成学校かもしれないし、サラリーマンという働き方が急激に縮小しているのに将来も考えずに休息や娯楽でやりすごす学生にとっては職業養成にもならなかったという結果になるかもしれない。
 
ただ、どちらにせよ大学は職業養成学校ではない、という考え方に一度は立ってみるほうがよいです。
大学は研究機関であればこそ、門前の小僧たる学部生も変人が何に人生をささげているかを見て「貧困」が「日本の」「世界の」かもしれない、だれかがどうにかしなければと早めに気づく(不惑になって気付くのが標準ですが、それまでがつらい)。
The illustrated guide to a Ph.D.
 
そのために燃料電池の開発を手助けしようとか、太陽光発電だの風力・潮力発電はもうちょっと洗練できる、と、社会に対して自分が手助けできることを考えつく人もいるでしょう。日本の貧困を政策から10年前に予測できてひそかに個人の力で投票したりしている人もいるでしょう。
そういう金の卵とまじめ系クズとを事前に学力などで見分けることはできない。どんな人も多かれ少なかれクズと卵を両方持っているのが人間の性質だと思います。
 
最近の日本は教育どころでない災害の連続で、政治も足引っ張りに終始しており、本当に困ったことです。大乗仏教小乗仏教を敢えてつなげてみなければいけないんだろうとおもいます。
大学へ行ったらご褒美にあなたに好きなことをさせてあげる。そうも言い切れない悲しい親が増えていますが、是非とも大学という制度全体を見捨てないように、子供の世代も、大人の世代も、協力してあげてほしいとおもいます。
もちろん大学側も見捨てられないよう努力してほしい。
飛び級のない高校の無駄な校則や授業、デジタル化されていないためにフルカラー高級紙印刷で高くて重くて水曜日は15キロになる教科書。組体操で骨折。
日本って徹底的にまず物理的な側面から団体教育が下手だとおもいます。責任者出てこい。カケイととなえていればいいと思うな。
 
 
まあいざとなったら
エストニア共和国より愛をこめて
海外留学のほうがましかもしれませんが。