残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

蛍の墓のはなし(書痴の)

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<あまりだれにもいったことのない読書歴の話>
昭和46生まれで、11歳ころには父親の文庫本か母親の推薦本かわからないが、家にある本をかたっぱし読みはじめていた。
昭和57年頃の話だ。
母からはゲド戦記などをあたえてもらって続編をリストにみつけてねだったおぼえがある。
血と油と運河(初めて読んだ長編経済小説かなあ、ホモをコレで知ったがあとからみればTBつまり女装となぜかセットになってておかしかった)、サンダカン8番娼館(ツライ話だった)、小松左京星新一筒井康隆(筒井は毒だとおもった、小松さんのヒロイズムが好き)、夏木静子、エラリークイーンやアガサクリスティ、などなど。週刊少年ジャンプブラックエンジェルズ、(ジョジョと北斗は医者やラーメンやさんでみたが絵が濃すぎて嫌いだった)、夕刊フジのウノコウイチロウなども父親が無防備に新聞捨て場においていくものだから平気でよんでいた。おもえば父親はそのころ35歳くらい。
あと公民館の記憶も混じっている。捨てて行かれたブラックジョーク集があった。男女の営みは小学校高学年くらいで理論上は大体理解していたし、その流れでわくわくと落語艶話とか金瓶梅(かなりエロい)とか借りてきて布団の下に隠したらみつかって小学校で読むもんじゃないとさんざん怒られた。(わかってたから隠したんだが)
そのなかに母ので「蝿の王」父の「蛍の墓・アメリカひじき」もあったかな。松谷みよ子の「龍の子太郎・ふたりのイーダ」も相当な鬱本だけど。
 
で、みんなが鬱になったこの蛍の墓、信じられないかもしれないが、子供のとき字で読んでもほとんど通じなかった。えっ、子供がむちゃするなあ、くらいで。しかも書いてるのはおとななもので、結末が切なくならないようばっちくリアルにおわってるので悲哀とかロマンがぶちこわし。絵がね、ないからね。ほねがみとうげやサンダカンがよほどこわかった。さすがに中学~高校くらいで再読してると悲しくなってたとはおもうけど、絵で見たわけじゃない。それよりイーダが怖い。
映画で知った人にひとことでいうと「蛍の墓の原作は文庫本でたった10ページくらいのごく短い文章なのですが息つぎもせずにたたみかけてきて、しゃくりあげながら書いてるような迫力があってすごいです。」
 
大人になった今は映画は敢えて見ないよ。あんなまるまるとした三歳児?が消えて無くなる話なんか見てやるものか。子育てまじめにやってるかあちゃんほど、直でHP削られるわ。

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<西原さんとかもしださん>
すっごいヒドイこというけれど、め組の大悟とか、グレンラガンの3部なんかもそういうテーマなんだけど、普通の人じゃ戦場カメラマンとか消防士とか人類を救うとかそういう大事な役割は出来ないよ。
どこかやっぱり特別な才能がいる、情熱でもなく、常識がないというか、怖い物知らずというか、向こう見ずとか、無知の無知とか、そういうものがいる。それはすごく危ういものだ。
私はフィクションはフィクションとして切り離そうとしてもリアルすぎて、(ほぼ実話だって知ってる上に宮崎絵のハイジ洗脳で育ってるからね)、つぶさに見せられると心の安寧がもってかれて鬱になる。
そういう体験を子供にわざわざ与えることを良しとするか、悪しとするか、それだけは40年余り生きていて未だに解決ができない。
自分はうすっぺらい安らぎをつくるのでもできてるかわからない。無力だ。
 
西原さんちのだんなさんは、(奥さんもいってたけど)欠けた人だったとおもう。
だいぶ最初のほう、蛍の墓見て死ぬほど飲酒して自分の3歳の娘に泣いてる戦場カメラマンというだけの描写で暴力については全くわかるように書いてない(むしろほほえましいギャグ化してる。すごい腕力)ときもそういう予感があった。
だって迷惑だ。完璧に迷惑行為だ。リアルに幸せにすべき子供に迷惑かけてどうする。
大人としてみちゃいけないものを(うちの父親よりよほど)自制できてないじゃない。終戦記念日毎てほんとムリ。
 
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<本の力~日常生活が壊れる本もある>
うちにはDainさんのいう毒薬本はほぼ置いていないんだけど、やっぱり娘が読んでて、
でもやっぱりそれは読んでよかったねおもしろかったでしょとは絶対にいえない。
読まない方が健康でいられるとおもう。健全じゃなくて健康。
あんな本だけは嫌いだと言える本がほぼないのは脳が男性側、年上側に都合よくゆがめられている。
あんなものは気持ち悪いから見ない、そういえる人のほうがよく働ける明るいいい奥さん。
どこかでなにかを置いてきてしまった。たぶん本の悪魔に魂(右脳、気持ち悪いとかの直感)を売り渡した一瞬があるのだ。
ドグラマグラなんて長いだけでたいしたことないじゃん。
 
知ればいいというものじゃないと思う。自分の強そうでもろい鬱な部分は嫌い。
知識売り(麻城ゆう)のようにそれを抱えて生きているだけでもうせいいっぱいだ。
本を読むと心がうちのめされ、体が弱くなる。本は呪いの場合がある。
宗教は金を吸い取っていくから依存を断ち切ってくれるんだよね。
わかっていて読み書きをやめられない。
書(ネット)を捨て、町に出る理由が欲しい。
「会社」にあこがれるとこまで高度成長期の男性のまねしなくていいのに。
 
そういう意味で、表現規制は細かくてもよいが、だからといって蛍の墓だのはだしのゲンが「出版してはいけない本」になるのはおかしい。
うちの父は存命、やさしくて。叱るときに私をぶった母よりも暴力一つふるったことのない、読書家で静かで食いしん坊で基本ぐうたらなのによく働く人で。そういう人が私に鬱本を与えたのは事故。
知性は母の手からあたえられる本を待っていないのだけれど、だけれども、どこへともない後悔はある。よまなきゃよかった。こんなに悲しくなるもの。
悲しいことなんて他にもいっぱいある。子役に親が死んだらとか想像させて涙をださせるのはやめてくれ、演技がトラウマになる。という話をはるかぜちゃんが書いていた。

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ジブリがこれをつくったという意味、日テレが放映したという意味>
世の中が子供にやさしくなくなったらつきつける脅迫状みたいだ。あってよかったのかも。
 
ジブリ映画の中ではダントツに「またナウシカ度」が低いらしい。
ま、危険物ですから、ほどほどにしといてください。