残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

表現と病気

表現のなかに病的な暴力を出すことは悪か?わたしはそうはおもわない。
また病的な暴力を出しつつ同じ病気とおもわれる患者団体に気遣わないことは悪か?私はそうはおもわない。
殺人者の多くが「病気もなくごく普通の人」であって理性をもってごく普通に人を殺すのである、という事実を、子供とか心の弱い人にしらせるとそれだけでストレスになってなんなら病人が増えることだってあるだろう。
だから、フィクションにするときのぼかし、ごまかしや嘘はあっていい、むしろあるべきだとおもう。

「七匹のこやぎ」でこやぎを6匹まで食い殺すのは狼であって、責任能力のあるとなりの人ではない。
「カチカチ山」でバアサンを汁にしてくわせて報復でウサギに火をつけられるのはたぬきであって、責任能力のあるバアサンの夫とかではない
事実であってもエクスプロイテーション映画を見たくない人のほうが多い

事実じゃないからこそ、わかりやすい嘘を含むモデル化し整形したストーリーだからこそ、漫画・アニメという表象が広い年代、広い知性レベルの人に親しまれえらばれているという共通の前提がある。知らなくても読めるのが漫画。
だからあの漫画に注意書きをつけるとしたら「この漫画には暴力・理不尽な死の表現があります」程度であるべきだ。
医者の中には注意書きが必要だという人もいるようだが、表現する側からすれば病気を示唆しかねない注意書きをつけた上で「これは特定の病気を指していない」と断るというのはいかにも悪手である。偏見を増してしまう。
表現する側だって人の心理についてよくよく考えて微調整を重ねて表現をつくっているのだ。
 
そういえば精神科q&Aのドクター林の【4321】が、この元増田のリンク先の医者と一見正反対なことをいっている。(個別事例への直リンク禁止ルールがあるのでググってよんでください)
上で書いた「殺人者の多くが「病気もなくごく普通の人」であって理性をもってごく普通に人を殺すのである、という事実」の根拠に私がつかっているのは、通り魔犯罪の裁判での鑑定結果であの病気の割合は低い、責任能力アリとなる割合のほうが高い、という一点にすぎない。
司法がちゃんと精神鑑定していないだけで、実はプロの専門医からみて、本当に通り魔殺人犯におけるあの病気(Dr林によれば薬でほぼほぼ抑えられる病気)の罹患率が高いのであれば。
それは司法と厚労省が連携して責任をもって公表して「しっかり受診しよう、薬を飲ませようキャンペーン」を展開すべき事実だと思う。
自分は昔からの友人にあの病気の人がいるけど、あの漫画とは全然似てないと思う。少なくとも読んだ時点で知人のほうを思い出すということはなかった(既存の事件報道のほうは思い出した)。
やっぱり身近な人への偏見がかきたてられないよう現状の注意書きなしのままでいいとおもう。
子供に限らず大人だって、正常性バイアスがなければ安心していきていけないのだ。
すべての問題に主体的にコミットしていたら人生なんてあっという間におわっちゃう。
私は彼女にはこの話を読んでほしくないなとおもったのは確かだ。
けど彼女は自分と同じ病名に関する話題になった漫画があったら責任をもって手にとってしまって却って悪化させるようなとても生真面目な人なのだ。
だから「理不尽な暴力」からは表現であってもとおざかっていてほしい。だれもあなたにつなげやしない。そういう表現、そういう世間であってほしいと思う。