それは「(どうやれば)創作者への報酬の最低限を合理的に決定できるか」だ。
それはあるいは「創作の苦労と報酬を常に比例させる方法はないのか」ともいえるし、
「創作者を怒らせずに二次利用を合理的に発展させる方法はないか」ともいえるけど。
インセンティブというより「報いたい」んだ。
お金だけでなく名誉や愛。
「よろしい、続けろ」は副産物なもので、「怒り」も副産物的な気がしているのだが。
折に触れぐつぐつ煮えています。
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非親告化は検察が公訴権をつかえるようになる「だけ」とのこと という絵があるのだけれどもうすこし先に問題がある。
どちらにせよ権利について勉強してないし、したくもない「法律上自分勝手」な創作者が山ほどいる。(むしろそのくらい自分勝手でないと真の意味での創作などできない。ボッティチェリも****もかみ砕いて飲み込んで血の一滴になりましたくらいの創作が読みたい)
出版社ならなんとか法律の話は通じるけど、創作してるのは出版社自体じゃない。
「著作者の意向がかわりました、出版社から著作権ひきあげました」で屋根にのぼった出版社や検察は梯子をいつでもはずされるのだ。(契約の話はおいといて)
検察も、だからあまり非親告罪にはしたくないのだ。
そしてもし非親告罪になってもおそらく著者はもうからない。創作はいつも思ったほどもうかるものではない。情熱がなければ生きていけないが情熱があったってうまく果実を結ぶことがあるかないかわからないのが人生だもんなあ。
創作って人生そのものだ。だから創作者は人生をかけているのか。