残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

共感力と子供の貧困についての走り書き。(また整理できたら書くとおもうけれど)
 
日本は世界のなかで子供の貧困率が高い。これは計測手法がおかしいのでもあるけれど真実の一面をあらわすものでもある。
 
日本は女性、子供にすごく高度な共感力(空気読む力)を求める。
ある場合などは、学校の先生をはじめとする政府側のミスや力不足をPTAが補助させられたり隠蔽したりもする。
子供に小遣いをあたえなかったり、シツケと称する(世界的にみたら)虐待行為を行ったりすることも、のちのち共感力を高めて身を守るため、として正当化される。 
中学校まではこれはなんとなくうまく行く。なぜなら、中学生までは、自分で自分の面倒をみきれなくてもあたりまえだから。(とはいえ、ADHDの空気読めない子が支援学級にいくことは結構増えているようだ)
 
でも、中学校で、体力的にまたは家庭的に問題があったりして、体育会系の部活に入れなくて、ラノベを読んだり漫画を読んだりしていく子が、共感力を漫画相手にもっぱらはたらかせだすことがある。これは高校ではあまり良くないのではないかとおもいはじめた。
 
体育会系の子は、「自分軸」と「相手軸」の切り分けが上手くなる。センセイはいつもすこしだけ強引だが、泣き言はそれなりに聞いてくれるし、倒れてしまった子にまで死体ケリをしてくることはない。また、親がいつでも話を聞いてくれ、危ないとおもえば介入してくれる。
ラノベ系の子供は、前提としてADHDっぽい空気読まない(または異世界に飛んだので読もうにも読めない)主人公が、少ない手がかりを最大限に活用して、周りの無理解を乗り越える話を繰り返し読む。そうすると、「自分は相手をわかるべきだし、わたしは相手をわかるべきだ」という強固な刷り込みがくりかえしなされる。「わかる万能」という信仰に染まってしまう。
でも本当ならば、やはり中学生には大人を理解することはできないし、高校生になればもっとできないことは増える。自分でさえ理解できない。そしてラノベに信仰的にひたったこどもは、泣き言の言い方もうまくないし親も甘やかし方を上手くない。別のあり得ない方法を探して、ラノベ的運命展開を待っているうちにどこかが耐えきれなくなる。
 
ゴミをだれもなげすてなかったら掃除婦の仕事を増やしてしまうではないかというのは非常に傲慢だが、その傲慢は有る場合には非常に正統に、正しく、働く。アメリカの学生は学びに来ている、つまり、自分を教えにきているのだ。わからないならわかる部分を世間からもぎとろうと必死。
 
日本は、礼儀正しく他人に迷惑を掛けないことで、なにもかもを背負ってしまって、若年での鬱が増えている。
 
若者はもうちょっと傲慢に、批判を顧みず、振る舞っても良いと思う。