残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

年末年始いろいろおもったこと腐女子編

特別お題「わたしの推し

とにかく「生身の人間」を追うからには、そういった小さく狭い路地に入り込んでいくことは避けられない
声優ユニットというものに多くを期待しすぎじゃないのか? 比較対象に出て.. より一行引用

 
そうそう。特撮イケメン俳優も女性声優も2.5次元の役者さんでもそれは同じだろうと思うよ。
とりあえず、若いうちはメジャーで地上波か恒常ガチャキャラなどで無料のものしか目に入らないものだろう。
「だれかがコンテンツに金を出している」のが「おまえ(世代)の親」から「おまえ自身」になったときの身の振り方をかんがえろ。
推し活したいなら余裕ある生活しろ。
それしかいえない。
 

公式ってのはそういう意味じゃない

理系は公式と記号で演繹して全て伝わると考えがちだが文系は手紙だの伝記だのできめ細かく解釈をやり直しする帰納法という前提があるとする。
特に数学は科学の中でも最も無慈悲な生物にも伝わる事実とルールの固まり。
マックスウェルの悪魔は物理だが存在しない神の例。そしていないものはいない、を告げるのは残酷な数学の役目だ。
たとえば「AとBはライバル」という公式があったとして「ではそれがスピンアウト時空なら?」と考えるのが演繹法で結果温泉回などができる。
温泉回などをみて「こいつらどう見ても恋人ジャン」と導くのが帰納法。理系は前者、文系は後者でどっちも二次には大事。
で、マックスウェルの悪魔は目のフィルターで都合の悪い事実(メイヴとか桜とか)が見えなくなるが、数学のうち線形代数までは公式を用いてそうはならんやろと悪魔に指摘するのが仕事。大学生から習う非線形代数以降は実は公式の解釈は穴があるんじゃと言い出すのが仕事。
という訳で私は今年も元気に非線形な人間関係妄想に勤しんで参りたい所存。

絵師に実際に会うと原画展気分。それがスケブの原義なのだ。

ツイッターに萌え絵(アナログを写真撮影して)ながしている絵師さんの家にいった。そしたら原画展気分だった。みんなもコロナが治まったらそうするといい。という話。
だから私の推しは今私鉄駅で生保うけて暮らしているので貢がせてほしいとおもった。