残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

なぽりんは男女は子育てとか老化といったからだの作りに起因することさえも、よく見ていくとけっこう互換だなと思っています。BL系のエロ知識に詳しい人のツイッターをみていくと、ふうん・・・(・・)って興味津々。そしてそういう知識が共有できるほど日本は平等な社会でうれしい。
 
話はちょっと飛びますが、恋愛というのは相手なり状況にファンタジー(妄想)を抱いている間にしか成立しない。たとえば「6つに割れた腹筋の上にお姫様抱っこしてほしい」とか「お互いの部屋でメイド服とツインテールの恰好をしてほしい」とかお互いになんか度を越えがちな夢があるわけです。
 
結婚したあとは手持ち資源をお互いに確認して、ファンタジーを満たしあって、しかし度を越えた不可能なファンタジーは消して、相互互換な高等家庭生活者をつくっていく作業が結婚とか愛情だとおもっています。たとえば、数十年一緒に暮らしてきて、私がちょっと手術入院したら旦那も子供も倒れたなんてことにはなりたくないですからツインテールとか筋肉より先に家事の基本くらいはお互いにたたきこみたい。
 
フェチズムなどの性癖が濃い人は自分の中のファンタジーに殉じているので、普通の女性では満足できず、自分の中の異性性を最も濃く体現している人に一方的に恋情をささげて失敗しまくったりします。芸能人でもモデルでもない普通の人は自分の女性性・男性性をことさら濃厚に煮詰める生活を送っていたりはしないので、ファンタジーに殉じてほしいと過度に自他に望む人はそこらにころがってる独身ニンゲンとの普通の付き合いごときには見向きもしないわけです。そういう普通の恋愛ができない人は「異常」だとか「ヘンタイ」と呼ばれたりします。でも別に、人間は昔から、少子化のために恋愛するんじゃないんで、そういう人もいていい。家事なんて指一本もふれなくても暮らしていけるお金持ちだっているでしょう。
 
で、普通は、フェチズムはほどほどに、かすかでぼんやりとしたファンタジーを持って結婚する人が多い。いわゆる「普通の恋愛」です。よく少女漫画で運命の人の見分け方がわからないなんていいますけど、ある程度以上魅力をもって生まれればどんどん言い寄られるばかりなんだから、結局は運命の人なんていないのかもしれないです。普通でいいの普通で。もし運命の人がいるなら、お互いの「こだわりと妥協の凹凸」がたまたま他よりよくあてはまっていた程度かもしれない。「この人はとても魅力的だが、たった一つしかないがとても普通では耐えられない悪癖がある。しかし自分は生来その悪癖が気にならないから結婚しました」という。それはそれで幸せそうにみえます。
 
ただそれでも、なぽりんが女性であるためか、女性の暮らしぶりが気になります。
他人の家庭、他国の女性はどうなんだろうと。
ツイッターなどでみていくと日本からみて不自由も大きかったり、性暴力の予防を伝えられていなかったり。
その国ならではの女性に要請される振る舞いや知恵。それを押しのける生来の女性性。男性との付き合い方。家事分担。
【ムスリム・フレンドリー】ムスリム女性が剣道をはじめたきっかけ…その理由に「なるほど」「意外だが納得」の声 - Togetterまとめ
 
女性と男性は日本ではほぼ互換可能だが、イスラム男性と日本男性は非常に互換が難しそう。
イスラム女性と日本女性もあまり互換可能そうではない。でもそのうち互換可能になるかもしれない。
 日本女性とイスラム男性は??私はとても難しそうだとおもいます。
 
ただSNSがあるので、表に出てきて遠くまで伝わりがちな政治とか科学の成果とか男性的論理的な話題ではなく、生活のちょっとした情報で女性をより深くつなぐことができるのです。
 
互換可能でなにがうれしいか?というと、なんとなく、世界平和と人類平等に近づきそうだからです。というか、互換可能性のことを適応能力ともいいますが、人間に与えられた最もすばらしい恵はこの適応能力だとおもいます。
 
先日書いた記事で、「差別が出合い頭の事故でしか起こらなくなるような予防としてのすみわけは大事だよ」といいましたが、そればかりでなく、「いざ出合い頭、多発!文化交流必須!」という状況になったら互換可能であることも大事だよということ。そのためにお互いの文化への理解なり、翻訳なりで常に備えが必要なんだとおもいます。
 
まあ、同じ日本人でさえも「女性の気持ちは男性には分からないのヨ!」とか「男性の気持ちは女性にはわからないンダ!」って大声で言うタイプの人たちがいらっしゃいますが(主語は完全に大きいままずっと人生いっちゃうタイプ)、そういう方は、人生の早い時期でどこかに適用能力をたくさんつぎ込まされていて、もう伸びしろがのこされていないんだろう、かわいそうに、とおもっています。会社がつらいとか学校に適応できなかったとかいろいろ理由があるんでしょう。大変だったんですネ。
でも自分はそれをいいつづけても進歩がないので、一段落ついたら、どうして自分はそういいたくなってしまったのか考え、その原因となる状況からできるかぎり距離をとったほうがよいとおもいます。それが許される世の中ですので。
客に胸を触られたんだけど、日本は暴行OKな国なの? - Phil Hardison これはやはり、酒飲むとどうしても異性に暴行したくなっちゃう人は酒そのものから距離とった方がいいと思うし、女性は保護してくれない酒場であまり働かないほうがいいかもしれない。
(地元自慢ですが、この辺は名古屋という町がほぼ完全にすみわけているようで、夜堂々と開いているお店に働く女性はとても少ないし、しっかり給与をもらえている気がします)
 
たとえばアメリカにいて「日本人の気持ちはアメリカ人にはわからない」といったとしてもそれは当然のことであって、それだけではクレームにもならないのですが、日本は男女平等でまだ「気持ちをわかってくれない」だけでクレームとして通じるだけよかったのでは。自分の気持ちなんてちゃんと説明しなくちゃどの他人にもわかりゃしません。あたりまえー。それは話し合いや、すり合わせの第一歩というかゼロ歩でしかない。
 
また、性暴力を受けるのは女性特有なのだとか、女性差別は男性特有とか、介護・育児が女性にしかできないというのも、私はファンタジーだとおもっています。そうでない悲しい例がSNSで毎日ながれてきます。男性も女性も人生の被害者になり得ます。そして男性と女性は(気が合う人なら)あらゆる分野で共闘できます。
 
さらにもう一つ言わせてもらうと、この手の「異性に自分の気持ちがわかってもらえない」と主張なさる方が「自分の気持ちを絶対わからないはずの異性」とわざわざ結婚しているのをみると、お相手が不憫です。お相手はほぼ絶対にSNSで主体的に自分の場をもっていないのですが、そうやってネットで声を公表していないがわの方にとって、高確率で不公平な一方通行になっているのでしょう。できれば家族の中にいる異性のサンプルをもっとよく研究して、振り返って、愛情をもっと深めてほしいなとおもいます。共闘相手をあらかじめ、声高に、失わされてるけですし。
たとえは悪いですが、こういうことだとおもってください。

「すべての犬は手を噛むものだ、だから犬はしょっちゅうしつけなおさないといけない」と大声でいう人がご自宅では犬を飼っていらっしゃる、「うちの犬はとても従順だ」としょっちゅう私的なSNSで書いているのを見る感じです。その従順ってどういう意味? そしてなぜあなたは他人の犬のしつけにまで口出しできるほどの立派な飼い主だと自分でおもってしまったの? と、非常にはらはらします。私も犬を飼っているのですが自慢も公表も、いずれだれかの虐待や負担につながりかねないことは一切したくない。自分の愛情は自分と自分の犬の間だけで通じるものだから。もちろん、ふとした愛情たっぷりの写真とか、新しい犬が喜びそうな製品くらいはちょっと書いてみたりします。これだけで分かる人にはどういう飼い方しつけ方をしているかがわかってもらえます。
もしもいつか、その人のしつけが常識外れだとばれて炎上してしまったら、そのあとはきっと世の中の犬飼いの肩身はとても狭くなるだろうな・・。あの人は犬のトレーナー資格を持っているわけでもなんでもないのに、正義を唱えた分だけ、マスコミで悪目立ちしそうだから。
最近はそういう事態への予防策・自衛策を考え込んでしまうだけでもつらいので、そのブログは絶対に見ないようにしています。閲覧数を挙げることで、不幸な結果につながりたくないと無意識に思っているのかもしれません。

(これはたとえ話で、実際にはなぽりんは犬は飼っていません)

 
男性も女性とおなじ「気持ち」を持っている、女性も男性と同じ「気持ち」を持っている。男性はSNSをつかおうと思わないほど言語構成に対して不器用な方も多いです(女性は気軽に始める人のほうが多い印象。どちらも100%という話ではありません)。どちらにしろ、家族に理解されない人が一人だけいる状況ははたからみていても悲しいものです。
 
なぽりんでした。