残しておきたい雑談がある

リニューアルしたなぽりんブログ。(日常報告よりちょっとまとまったネタ)

ボランティアは職場のためならず

これは職場のためにならない(本来あるべき報酬系統をスポイルしてしまう)という新しくて悪い意味のほうです。
 
今日、ある友達に「試作はいいけど本格始動したら報酬算定してもらいなさい」と強くアドバイスしたくなったのです。それはなぜか自分で考えたらこうでした。
 
以前、仲良くなった絵師さんがいました。その方から聞いた話です。
その人はとあるきっかけでバイト先で絵がうまいことがしられてしまった。
たしか仲のいい同僚が辞めるときに渡す花束に添える感謝のカードに、似顔絵を書こうとした同僚がいて、「それなら自分は似顔絵を描けるから」と役目を買って出たことが発端だった。5日ほど夕方の自分の時間をつかって丁寧に色も塗った。
で、絵を描けることが知られて以来「どうしてもあなたにお願い」と頼まれることがふえてしまった。
次に辞める同僚への似顔絵色紙もかかされた。
その次に辞める同僚(今度は大嫌いだったしよく知らない同僚)への似顔絵色紙もかかされた。
その次は店内POPもかかされた。
 
どれもタダ。無報酬です。
それも嫌だが勤務時間外に書かされて本来家庭でとるべき休憩がとれないことが一番うんざりしていた。
そして最後には、書いたPOPがチェーン店間のコンテストに無断で応募されていた。
優勝しても個人名は記載されずに「●●チェーン●●地域店」全体の評価になる。なんか商品券の賞品も出たらしいが、高額だったせいか、大部分を応募手続きをした店長が取っていた。それはもういい。
でも「たびたび余計に働いていた」ことによる疲れはどうにもならない。
そのことを指摘すると「社に貢献できてあなたも嬉しいでしょ」いわれただけでおこぼれ程度の報酬しかなく、疲れた分も休暇が増えず。

もらった人も仲良くもない私からの思い入れのない絵などそんなに喜ばないだろうと思う。
絵には思い入れが如実に出るし、好意があればこそキレイに書こうという努力もする。
まして一枚目がキレイだったから2,3枚目もキレイな絵を期待されてしまう。あれは特別だったのに。
なのに平気で店長や同僚が「お願い」してくる。
「どうしてもやってほしい」とか「そこをおしてお願い」ってどういう意味だろう。
「体をくずして急にバイトのシフトに穴をあけてもいいから、それでも色紙やPOPを書いてくれ」…ってことか?
でもバイトのシフトに穴をあけたらみんな困る。私だってやられたら負担が増えて同僚として怒りまくる。
じゃあ店長や同僚の依頼をはっきり断らなかった私が悪かったのか?

で、とうとう「絵がかけるとみんなに知られた」ことが心底、嫌になって職場を辞めた………という絵師さんのお知り合いがいたわけです。
 
本来なら専業デザイナーが書くような絵が描ける方なのです。ただ、私と同年代でもう若くない。根気も体力も限りがある。
残り半分を切った人生で、嫌いなものを好きになる研鑽なんかしている暇はないので、好きな人の好きな絵しか描きたくない。
好きでもちゃんとした絵を描くには資料をあつめたり記憶したり調整しつづけたりと、いろいろと脳の体力や余力を全てしぼりだすような努力がいるわけです。
 
(余談ですが私もこの絵師さんはそういう方だとわかっていたので、「私の好みのモチーフで絵を描いて」などとずうずうしいお願いをするときはできませんでした。
好みがたまたまお互いに歩み寄れるジャンルをさがして、
「すでに描かれブログで公表されたこの絵とこの絵がすばらしいからつかわせてほしい、タイトル加工は自分でやりますし背景も自分でやれますので。
努力には見合わないとはおもいますが、お礼もさしあげます」という風にお願いすることの方が多かったです。)
 
とにかく女性なら・派遣なら、いままでバイトでつかってやったことで忠誠心があるのなら、丁寧に描いた成果物をただでつかえる、無茶ぶりもできる……とおもわれていることが本当に嫌になったという話でした。
 
その方は辞めたといっても同じチェーンの他の支店に、絵を描くことを今度は絶対にいわないで働くという条件でうつれた、という結末だったように覚えていますが、完全に別のチェーンだったかもしれません。
元の職場の働き方自体は慣れて負担に感じなくなっていたし気に入っていたということでしたが、転職をせざるを得なかったことでおそらく家から遠い店にかわったりとハンデは背負ったとおもいます。
ただただ、同僚にも上司にも「あの人は「すぐに」すごい絵を描いてくれる「親切な」人(というより、もはや自販機)」というレッテルを張られたのがつらかったと。
こっちだって下書きや画材いろいろしてるんだし働きながら全部は無理!って何度言ってもきいてもくれないと。
「技量のある素人」という肩書の方がただでやってても、プロクオリティを出すならプロ以上に労力がかかるわけです。
プロクオリティじゃなくていい、さらさらっと、なんてのは無茶ぶりもいいところです。嫌いなものなんてかかせたら急に3歳児以下の画力になるのが絵師です。
 
 
あと、もう一ついってしまうとその人は「能力にものすごく凸凹がある」人(医師診断済み)だった。
 

この話をきいた(転職も済んだ)あとに同じ診断をもらっている人に何人かお話をきいたことがあります。
それぞれ音に過敏だったり、残業に過敏だったり、苦手なことはさまざまです。
残業に過敏てなんだろうとおもいますよね。
気疲れを自覚できない。気疲れが直接体にでるのに、痛みでない疲れは兆候がなく、本当に僅かしかわからない。
がんばりすぎてしまったことで出勤できずに倒れることはある。しかもそれをわがままといわれて責められる。
そういう事例が子供のころから積み重なっているから、あえて大人として働けるよう、24時間、睡眠時間などによる自己管理を厳しくやっていた。
そこに、急に余計な仕事が断っても「そこをなんとか」などとわりこんでくると、生活の基盤そのものがダダ崩れになってしまう。
これってだれでも当たり前にあることだとおもうんですよね。ただ柔軟な人や家庭で支えられている人だけが乗り越えられるんですが。
この方も結局「そこをなんとか」をされた職場ではその無理をやりとげた後3日連続で自主的に休暇をとりシフトに大きな穴をあけました。それでも体調が完全回復せずうつ病になり、そのことで「こういうことがまたある可能性があるならどうしても務めきれないから」と職場を辞めてしまっていました。なお、技能が高いので管理職も打診されていたものの「残業が無理なので」ずっと断っていたそうです。

 
こういうふうな「善意にみせかけた無配慮(昇進やコンテスト応募)」の横行する職場では「後から残業代?やりがい?名誉?がもらえるのだから文句はないよね」という「搾取」にこっそりとすりかえて、結局は凹凸ある人の才能を生かしたつもりで真っ先につぶしている。
つまりは「「困り」をなんとか自分かご家庭で処理できるから本当には困らない健常人(という名の今やレアな猛烈社員)」向けの職場が多いのでしょう。だってこの類の適応障害の話をまだまだよく聞くから。
最初から人を部品としかみないつもりなのなら、部品として決まった扱いだけしていればいいのに。
部品だって過熱と過冷却をくりかえせばあっさり疲労で壊れますので、まともな職場なら説明書通りに使うでしょ。
まして人間というのは人件費がかかる最も高額な部品なのに、説明書(労働基準法)通りに使えない人が多すぎる。
土木建築業の人が少ないとかITが扱えない人がとか教師の残業がひどくてとか、いろいろな悲鳴がきこえてきます
藤井孝良・教育新聞 on Twitter: "「パソコンを打ちながらだと人の気持ちは伝わらないから、記者の皆さんも手を止めて聞いてください。後で紙を見せるので写メしてください」と、判決後に文科省で行われた記者会見で、田中まさおさんが記者たちに一言。それに続いて語った言葉が、記事には載せなかったけれど、胸に刺さりました。" / Twitter
が、少子化の日本人という貴重な人材で最低限の働かせ方を守れない日本の上司たちが悪いとおもいます。
 
お話を聞いた当初は私も、絵師さんがなんで2枚目以降の色紙を断らなかったのだろうということは気になりました。職場がそんなに好きだったのかと。
その方は「特別優しくふるまっているつもりはなかった。ただ距離感を保ちたい(ぶっちゃけ仲良くなれる気がしない人種)だったから角がたたないように丁寧にしてるだけ。でも店長一人が悪いのではない。職場の雰囲気があの人は「使っていい」「親切」という結論になってなんでも押し付けてきた。なんでそんなことができるんだろう?」ってとても怒って…いや困っていらした。「困っている」程度ならこちらのわがままを押しとおせばいいというのは本当に間違いだとおもいます。怒るエネルギーまで搾取されてるから怒れない、ただ心底「困って」いる。そういう人に無理をかけた結果ぽっきり折れてしまってはだれの幸福にもつながりませんよね。
 
あとフィクションの存在も悪い影響がある。「努力友情勝利」が合言葉の漫画の主人公は多く特別な技能を持っていて無理をしてもなぜか偶然に休暇がもらえたりで成功しておわるが、現実ではその人なりの合理的な苦労や積み上げ、つまり「無理をしないでいる」ことでしか特殊な技能は達成されないのです。このことはなかなか理解されないし、逆に「才能あるんでしょ?」と努力を否定してノブレスオブリッジの寛容さばかりが強いられている気がする。天才とは1%のひらめきと99%の努力なのにみんなは1%を100%に拡大解釈してしまう。
  
私自身も昔こういう目に会ったような気もするし(サービス残業が当たり前の職場にいてそれは苦しかった)、絵を頼むのに無理をいって友情を壊しかけたこともあるけれど、今はもうそんなことはないとおもってしまっていました。
忘れてるのか、いざとなると図々しく開き直って断れる美点があるのかもう自営業以外の職場で働くことはないとおもうのでよくわからない。
若い世代の悩みが理解できてるのか否かももうわからない。
「とっさに怒る」って体力も技術もつかうし難しいってことなのか、社会がしがらみにみせかけた罠のようなものに満ちているのかとおもいます。

 
今日はこういういいニュースもみました。
ダウン症の高校生がマクドナルドでバイトを始めたら「職場の空気が変わった」 ベテラン店員も「教わることが多い」本物の〝スマイル0円〟 | 47NEWS
「私が働きたい時間だけしか私は働きたくない」。それがわがままでなく当たり前の世の中になりますように。

 

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